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千早城跡登城日:(2010.02.07)所在地: 南河内郡千早赤阪村千早 |
歴史 | ![]() ![]() 百日あまりの籠城戦を見事に戦いぬいた千早城は、その後も楠木氏の拠点として存続するも、明徳三年(1392)畠山基国によって攻められ落城、60年余りの歴史を終え廃城となった。 ![]() ![]() 標高約660メートルで、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口=現在地)の三方は急斜面で、府道との比高は150メートル。東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。 五百数十段の石段を登ると四の丸があり、それより本丸までの奥行が約300メートル、その比高は約30メートルである。 太平記に、敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて「誰ヲ憑(たの)ミ何ヲ待共ナキニ城中ニコラヘテ防ギ戦イケル楠木ガ心ノ程コソ不敵ナレ」とある。(『千早城跡案内板』より)
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資料 |
私見 | ![]() ![]() まっすぐに伸びる石段を見上げると気遅れしてしまいそうになりますが、こんな階段がなかった当時はかなり堅牢なお城だったでしょうねぇ。とは言うものの、石段をひたすら登っていますとダメージが大きいですので、できるだけ土を歩こうと道の脇を選んでしまいます。 そうこうしているとようやくたどり着いた先は、おでんを販売している売店がある四の郭跡でした。前回訪れたのは約10年前でしたが、ここだけは時間が止まっているかのようにそのまんまであるような気がします。店内には古い缶ビールが並べてディスプレイされているのもシュールですね。すでに四の郭ということで妄想モードで訪れたいところでしたが、すっかり癒されてしまいました。先を急ぎます。 ![]() ![]() ![]() ![]()
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