![]() |
![]() |
Check
![]() |
![]() |
おつぼ山神籠石登城日:(2007.10.13) 所在地: 武雄市橘町大字大日 |
歴史 | ![]() ![]() 城の施設として確認されているのは、間口1間、奥行き2間の堀立柱構造の門跡2ケ所、水門2ケ所、夾築型の土塁2ケ所があります。土塁の幅は約9メートルを測ります。 大宰府の大野城や基山の基肄城などのように「日本書記」などの文献に記載されたものは朝鮮式山城といい、記載のないものを神籠石系山城とよんでいます。神籠石の列石は土塁の根固めの役割をしています。現在発見されている神籠石は16ヶ所で、西日本に限られています。九州内には十ヶ所が確認されており、佐賀県内では、おつぼ山神籠石と佐賀市・神埼町にまたがって存在する帯隈山神籠石の2個所が知られています。 築城の時期については、おつぼ山では関連する出土遺物がなく不明ですが、福岡県頴田町の鹿毛馬神籠石や行橋市の御所ヶ谷神籠石、岡山県鬼ノ城神籠石で七世紀初頭から末にかけての須恵器が出土しており、神籠石が七世紀代に逐次築かれたことが判明しつつあります。 ◆史跡おつぼ山神籠石 神籠石は古墳時代後期に築城されたと推定されている朝鮮式山城に類する古代史上重要な遺跡である。 おつぼ山神籠石は杵島山の西側に派生して半独立丘を呈している標高62メートルのおつぼ山に築城されていて、昭和三十七年五月に発見された全国八番目の神籠石である。 この神籠石の列石の延長は約1870メートルでその中約760メートルは破壊欠失している門址二ヶ所、水門址二ヶ所、土塁一ヶ所が現存しており列石線の前面には三メートルの間隔で柱孔が並び木柵が設けられていたことを物語っている。 水門は谷の上方へ向ってアーチ形に構築されており奥行九メートルの間には無数の栗石が投入され中央には石囲いの暗渠が通じていて放水装置であることを知ることができる。土塁は峰と峰との鞍部を連結するため九メートル幅に二列に石を並べ盛土をしたものであり門址は間口三メートルでそれぞれ四個と六個の柱孔がある。 『おつぼ山神籠石』案内板より
|
資料 |
【地図を表示する】
|
私見 | ![]() ![]() 列石遺構や柱穴など城域の外郭線付近はイメージできるのですが、内部の様子はどんなものだったのでしょうか。古代山城の復元予想絵図か何かどこかにないかなと思いつつ、延々と続く列石を目の前にして当時の力強い意思と言いますか、築城者たちの思いを想像せずにはおられないのでした。
|