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大蔵館跡
登城日:(2002.06.01)
所在地: 比企郡嵐山町大蔵、大蔵神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 大蔵神社前。  大蔵館は、源氏の棟梁六条判官源為義の次子、東宮帯刀先生源義賢の居館で、都幾川をのぞむ台地上にあった。現存する遺構から推定すると、館の規模は、東西一七〇メートル・南北ニ〇〇メートル余りであったと思われる。
 館のあった名残りか、館跡のある地名は、御所ヶ谷戸及び堀之内とよばれる
 現存遺構としては、土塁・空堀などがあり、ことに東面一〇〇メートル地点の竹林内(大澤知助氏宅)には、土塁の残存がはっきり認められる。また、かつては高見櫓の跡もあった。なお、館跡地内には、伝城山稲荷と大蔵神社がある。
 源義賢は、当地を拠点として武威を高めたが、久寿二年(1155)八月十六日、源義朝の長子である甥の悪源太義平に討たれた。
 義賢の次子で、当時ニ歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斉藤別当実盛により木曾の中原兼遠に預けられた。これが、後の旭将軍木曾義仲である。

『大蔵館跡案内板』より

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資料  

私見 神社内は公園となっていますが、回りには土塁が。  大蔵館跡は東武東上線「武蔵嵐山」駅から南に徒歩20分ほどで菅谷館跡があり、さらにそのまま南へ都幾川を渡り、15分ほどのところにあります。
 菅谷館跡、埼玉県立歴史資料館を回ったあとでテンションが上がっていたので徒歩も全然苦にならず、気付いたら大蔵神社にたどり着いていました(笑)。
 この館跡もまた、土塁が見事に残っており、都内の城とは保存状態が全然違うなぁと感動させられます。
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