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八幡城跡
登城日:(2003.04.27)
所在地: 近江八幡市宮内町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 石垣が多数残る八幡城跡  八幡城は天正十三年(1585)、豊臣秀次により八幡山山頂に築城された。麓にある城下町には、琵琶湖の水をひいて八幡堀をめぐらし大いに城下町経営を発展させた。

◆村雲御所瑞龍寺門跡由緒
 村雲御所と称し、日蓮宗唯一の門跡寺院である。後継者は皇族、五摂家、華族から出て、代々尼宮が住持する慣わしであった。
 当所は天正十三年(1585)関白秀次公が八幡城を築いた要害の地であった。当門跡は関白豊臣秀次公の生母瑞龍時殿日秀尼公が秀次公の菩提を弔うために文禄五年(1595)正月に創建されたもので御陽成天皇から村雲の地と瑞龍時の寺号及び寺禄一千石を賜りまた紫衣の着用と、菊の御紋章を許されて勅願所となった。歴朝の尊崇も浅からず、寺格は黒御所と定められこれによって村雲御所と呼ばれることになった。
石垣が多数残る八幡城跡 ◆八幡堀
 天正十三年(1585)豊臣秀次がこの町を開き翌十四年八幡山下町掟を公布し、その条項の中に琵琶湖を往還するすべての船は、この八幡堀を利用して八幡の町へ立ち寄ることを定めて町の発展策とした。この運河によって北陸、京阪神の物資だけでなく政治、文化等あらゆるものが町の中に運び込まれ、湖東地方の中心地として栄えたのもこの八幡堀が大きな役割を演じて来たのであり正に歴史の流れを作ってきた堀割である。

『八幡城跡案内板』より

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資料  

私見 美しい八幡堀  美しい八幡堀の情景に見とれつつ、日牟礼神社の参道をくぐり適当なスペースに車を駐車します。綺麗に整備された観光地八幡城下にやってきました。
 八幡山へはロープウェイで4分、あるいは徒歩により45分程度でたどりつくことができます。私はもちろん(笑)、ロープウェイで楽々城めぐりです。駅を出ると目の前に迫ってくる石垣が圧巻です。新緑の瑞々しさと重厚な石垣が実に絵になる風景ですね。
 本末跡には現在は瑞龍時が立てられていますが山頂部全体に石垣が残っていてすっかりハイな気分にさせてくれます(笑)。でもどの石垣も近すぎてうまく全体が撮れないのが難なんですけどね・・。
 北の丸や西の丸にはうってかわって平坦な削平地が広がっています。琵琶湖や安土城跡観音寺城跡などが一望できるのが嬉しいです。
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