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松下屋敷跡登城日:(2008.08.30) 所在地: 浜松市南区頭陀寺町 |
歴史 |
永禄・元亀の頃、松下嘉平治之網代々浜松城主の旗下となりて住みたり その後之網石見守となりて下野国壬生の城主となりたる由 又天文九年の頃木下藤吉郎、尾張の国より来りて松下嘉平治に仕へたる由 ◆鎌研池(天白神社境内) 木下藤吉郎、松下嘉平治之網に奉公の砌草刈に出て鎌を研ぎし処なりと言伝う。又東方二町余地を目刺という。 豊公幼時草刈の節、手裏剣の練習に雑魚の目を松葉にて刺せし池の跡という。 『松下屋敷跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
松下屋敷は十六世紀後半頃、三河国碧海郡松下郷の松下氏がこの地に居を構えたのが始まりらしいです。案内板に書かれている之綱(案内板だと之網)は今川氏の被官として活躍したが、のちに家康の傘下に加わったようです。また頭陀寺城がこの松下屋敷のことであったという見方もあるようです。(『中世城館調査報告書集成』東洋書林刊参照) すでに公園化され、当時の様子を偲ぶのが難しい状況ですが、案内板が設置されたあたりは屋敷の中心地だったのでしょうか?
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