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三島代官所跡登城日:(2008.12.14) 所在地: 三島市北田町 |
歴史 |
天正十八年(1590)小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関八州の盟主となり関東一帯は家康の要地となった。家康が関東の主となってまず第一に民生の安定に全力を尽し、伊豆七島まで含めた伊豆全体を統治するためにこの地に三島代官所を置いた。初代の代官は家康に忠誠を尽した伊奈熊蔵が登用され慶長六年までの十二年間三島代官(伊豆代官ともいう)として伊豆の治安と民生を司どった。この三島代官所は宝暦九年(1759)韮山代官所に併合されるまで二十一代の間存在した。韮山代官所の管轄になってからは三島陣屋が明治四年(1871)の廃藩置県の時まであった。現在周囲に残っている石垣の一部は、当時のものといわれている。 『三島代官所跡案内板より』
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資料 |
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◆歴代の代官
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私見 |
三島市のガイドマップを何げに見ていると三島代官所跡というのに気づきました。城郭体系やお城の本にはあまり載ってないやつですから、やはり観光案内所等で配布されるガイドマップにも目を配っておいて損はないですね。 代官所は現在三島市役所が建っているあたりで、脇に案内板が置かれています。こんなところに来るよりも三嶋大社に行きなさいと言われそうですね(^^;。案内板の横には農兵節の像がたっています。それよりも案内板に書かれた石垣はどこだろうとキョロキョロしてみましたが、手前の溝にある石のことでしょうかねぇ・・。
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