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杉谷砦

杉谷砦跡


登城日:(2007.08.25)
所在地: 掛川市杉谷南2丁目
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
宅地化されてしまった杉谷砦、右端あたり  杉谷砦の詳細は不明である。永禄三年(1560)に今川義元が桶狭間の合戦で没すると、今川領内では次々と今川氏に背く動きが活発となった。徳川家康も同時期に織田信長と手を結び、また武田信玄と協力して東西からそれぞれ今川領内に攻めこんでいった。武田の駿河侵入の勢いの前に抗することができず、今川氏真は朝比奈泰朝の掛川城へと逃げ込んだ。  永禄十一年(1568)十二月、家康は掛川城を包囲し、周囲にいくつかの陣城を構えた。この時に築城された陣城の1つが杉谷砦であるとされている。
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資料
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私見
 現在は完全に宅地化されてしまい、その跡形は一切なくなってしまっていますが『愛城研報告 第3号』(愛知中世城郭研究会刊)に書かれている論文を参照しますと、どうやら現在の宅地化をする前に発掘調査が行われていたようです。場所は現在、スーパーが建っているところから南西方面の標高85メートルの尾根先端部分に南北に細長く伸びるようにして存在していました。すでに現地に行ってもわかりませんので、同書の縄張り図を参考にさせていただきますと、一番南に主郭があり、南端に土塁がのこされています。そして北には堀切があり、その先には削平地が、そしてまた堀切があるというものなのですが、なにやらはっきりしない遺構状態のようで、はたしてこれが家康の掛川攻めの際の陣城跡なのかという点では慎重に検討していかないといけないということで、どうもあいまいな扱いは避けられないようです。
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