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鳥羽山城

鳥羽山城跡


登城日:(2008.08.30)
所在地: 浜松市天竜区二俣町二俣、鳥羽山公園
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
通用門遺構か 本丸南虎口  鳥羽山城は天竜川に臨み、支流二俣川を隔て二俣古城に対峙、遠州平野や、北方の山並みが望める標高108メートルの俗に本城山と呼ぶ山頂に築かれており、二俣城とは別郭一城の関係にある城館的色彩の濃い山城である。
 江戸前期の兵学者山鹿素行の著した「武家事記」の「三方ヶ原合戦図附総図」には二俣新城と記入されている。
 天正三年(1575)徳川家康が武田軍の守る二俣城を攻略するとき鳥羽山に本陣をしき、天竜川の対岸和田島、二俣川の向う毘沙門堂に砦を置いて二俣城を包囲したことは世に知られている。
 主郭の四囲の山腹、山麓には各種の遺構がある。土塁、石垣、門、井戸、建築跡、庭石のほか昭和五十年の発掘調査により、侍屋敷、家老屋敷、蔵屋敷、暗渠跡などが発見されている。
 戦国時代の城館で庭園や泉水を伴うものは全国でもまれで、特に家老屋敷や蔵屋敷に遺存する岩盤利用の枯山水の鳥羽山城庭園は文化史上貴重な遺跡である。

『鳥羽山城跡案内板』より

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資料
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私見
二の丸だったかな・・ 存在感のある滑り台  鳥羽山城は天竜川が大きく折れ曲がった丘陵上に造られていました。隣接する二俣城が武田勢に奪われたことを受けてこの鳥羽山城や周囲の城を整備したことだけがクローズアップされていますが、よく見れば庭園遺構があったり、県内でも有数の幅の広い通路や石垣の中に見られる巨石などからとても陣城整備されたお城というだけではない多面性をもつものであることを感じさせてくれます。とはいえ公園整備された現在では主に土塁で囲まれた本丸を中心とした部分がよく残っているくらいですので往時の全容をつかむことは難しい状態です。特にすぐに目に飛び込んでくる滑り台・・。せっかくの機会なので1度くらい滑ってくればよかった(^^;。
 ここは眼下に広がる眺望を楽しめる場所でもあります。城跡として、又付近の方々の憩いの場所として現在も機能を果たしていることがよくわかりました。ちょっと残念な状態ではありますが、こういうのも悪くないかな。
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