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大西城跡登城日:(2008.07.26) 所在地: 三好市池田町ウヱノ |
歴史 |
池田大西城は承久三年(1221)阿波の守護として信濃の深志(現在の長野県)から来た小笠原長清によって築かれ、400年に余って繁栄したが、寛永十五年(1638)江戸幕府の一国一城制により廃城になった。 この石垣の積み方は野づら積みと言われるもので、昭和五十四年幼稚園改築の際、北側に埋蔵して保存し、東側はコンクリートの下から一部観察できるようにしている。 ◆城郭並木 この並木は藩政時代の城の名ごりをとどめ昔を偲ばせるものである。大西池田城が承久三年(1221)小笠原長清によって築かれ、小笠原氏が勝瑞(板野郡)に移ってからは白地大西氏の支配下にあり、江戸時代になって大西城番が置かれ、のち三好代官となった。 池田城の面影を残すものとしては、一部の空堀と諏訪神社とこの並木群である。 『大西城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
大西城があったとされる場所は約30メートルの高さの台地であり、現在は幼稚園、小学校、中学校などが建ち並んでいます。阿波国の最西端であるから『大西』と呼ばれるようになったとか。(『日本城郭体系』新人物往来社刊)興味深いですね。 小笠原氏の長きにわたる阿波経営が終わると、長宗我部氏の侵攻、そして蜂須賀氏の入国など阿波国は他国との戦乱が激しくなっていきます。阿波九城として国内の治安のために要所にある城を整備されたのも蜂須賀氏の頃で、大西城のその1つとなっています。城番として牛田又右衛門が、そして仲村氏が入り、一国一城令を受けて寛永十五年(1638)大西城は破棄されました。 蜂須賀氏の改修後の城の規模がどこまでだかわかりませんが、
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