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二ツ山城跡
登城日:(2005.01.02)
所在地: 鳥取市福部町湯山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神社が右側で、頂上部が主郭跡か ◆神功皇后(じんぐうこうごう)伝説の地
 古代のこの海岸は、多島に囲まれ風光明媚な港で、海上交通の要所であったとされている。
 その昔、神功皇后が三韓出兵したと伝える記述には「因幡誌」では、「神功皇后征韓帰国の時此所に鷁舟(みふね、天皇の御舟)をつなぎ給う。」とあり、この神功皇后を祭神として祀る弥長神社周辺には、神功皇后寄港に由来すると思われる地名が、「天王」「御前河原」「御凱陣」「琴弾浦」などに見られる。
 又、此の地は「応神天皇御誕生の地」とされ、神功皇后がこの港に寄港すると急に産気を催し、玉のような御子を安産されたと伝えられ、産湯を使われたとされる井戸も残り、多くの伝説を秘めた地である。
 ◆二ツ山城跡
 現在地の「二ツ山」には、天正九年(1881)の豊臣秀吉軍による鳥取城攻略戦に加勢して戦死したとされる篠部周防守(すわのかみ)の居城、「ニツ山城(中世城館)」跡が石組として現存し、山頂からは秀吉が陣を構えた本陣山が一望できる貴重な文化財である。

『現地案内板』より

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資料
 

私見
神社境内から  2004年後半、周辺の町村合併を行った鳥取市は一気に城跡保有数がとんでもなく膨らんでしまったことでしょう。この二ツ山城跡もまたそんな城跡の一つです。元々は福部村だったのが、合併により鳥取市福部町になっています。”町”に昇格(?)なんですね。
 さて、城跡の場所は砂丘の東端に位置する一番高い山ですので簡単にわかると思います。弥長神社があり、麓には城跡を示す案内板も設置されています。
 神社があるところを過ぎ、社の裏手の左右が削り取られてしまったかのように土橋状の尾根を進むと最頂部に到達します。しかし残念ながらこの日はお城に興味のない人間がいたので探索はここまでとし、また再訪することとしました。現存するという石組を見に又きます。
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