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河原城跡 登城日:(2000.11.05) 所在地: 八頭郡河原町 |
歴史 |
◆お城山展望台(河原城) お城山展望台は、ふるさとづくり一億円事業「自ら考え自ら行う地域づくり」により広く町民に提案募集の結果決定し、多くの町民各位の参加と協力を頂きながら、二十一世紀に向けた河原町のシンボルとして、また、町をアピールするランドマークとして建築したものです。 文献によると、このお城山は天正八年(1580)、豊臣秀吉が鳥取城攻めで因幡地方にやってきた際に陣を張った山で、丸山城と伝えられておりますが、この山に建物としての城はなく、従って、実在の城を復元したものではありません。城名は、公募により河原城(愛称・若鮎城)と命名しました。構造は、鉄筋コンクリート造三層四階建て、延べ床面積七九四・四平方メートル、高さは二十四メートルです。 内部は、町の情報発信基地として、歴史、文化、自然などを各階ごとにテーマを設け展示しています。最上階の展望室は、標高百十五メートルにあり、ここからは、四季折々変化に富む中国山地をはじめ、一級河川千代川とその流域の鳥取平野とともに、はるか北方の鳥取砂丘も眺望することができます。 また、この山全体も河原中央公園として整備しており、梅、さつき、もみじ、桜など、四季を通じて楽しんでいただくことができます。 ◆丸山城遺構 河原町は、展望台の建設に先立ち平成三年十月から約八ヶ月かけて、全面発掘調査を行いました。その結果堀切・柱穴・郭など多くの遺構が発見され中世山城の跡だったことが確認されており、これら調査結果は町で記録・保管されています。 『河原城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
遠くからでもこの河原城の姿を確認することができます。河原町随一の高台にたつこの城はまったく歴史をもたないお城風建造物です。ですから私も今まで無視をしていたのですが、よく考えてみたらこのお城風建造物が立つ場所こそが、かつて秀吉も陣取った丸山城そのものでした。 河原城建造の際にはその当時の遺構もいくつか発見されており、それだけで十分歴史的に意味があると思うのですが、それを壊してまっさらなお城をつくっちゃったんですね。 まぁ確かにランドマークとしての役割は立派に果たしてますよ、ええ。十分に。
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