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尾高城跡 登城日:(1999.03.21) 所在地:米子市 |
歴史 | ![]() ![]() ここは、中世の東西交通路をおさえる西伯耆の軍事上の中心地であった。城郭は、鎌倉時代から築かれたようであり、室町時代山名氏支配下では城主は行松氏が、尼子氏が進出すると城主は吉田氏が、16世紀後半になって毛利氏支配下時代には杉原盛重が城主であった。 江戸時代初期、米子城築城によってこの城は廃城となった。城跡は、北から二の丸、本丸、中の丸、天神丸、後方の館跡など八つの郭があって掘りや土塁で守られ、平常の生活を営む館と城とがつながっている中世の城郭遺跡である。 尼子回復戦のおり、尼子の勇将山中鹿之介が捕らわれ、この城にいたとき、腰痛といつわって汲取り口から脱出したという物語は有名である。 行松正盛の居城であったが大永四年(1524)尼子経久に一旦は攻め落とされるが、その後毛利氏の援助で奪回する。その後杉原盛重が城をまかされたが、天正十一年(1583)、後を継いだ元盛は、弟景盛との抗争で殺害され、景盛も直後に自刃させられてしまう。 その後は吉川元春が入り、西伯耆地方の要衝を守るようになった。 『尾高城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() そのあと二の丸跡へ戻り、本丸と反対側を向くと隅櫓のあとが見られました。これだけ奇麗に整備されているのになぜ本丸だけはほっとかれているのか気になりましたが、尾高城を後にしました。 すると米子道方面に天守閣が見えていました。お菓子の工場となっている寿城です。ついでとばかりにすっかり試食で腹を満たしてもらいました。(^_^; しっかし、饅頭ばっかり試食してもあんまりありがたくないですね。私はやはりデパートやスーパーがいいです。
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