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尾木原城跡
登城日:(2004.09.20)
所在地: 鳥取市洞谷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
バス停脇にある標柱が目印です。  鎌倉時代の初期、建久七年に因幡守大江広元氏の三男大江元房氏が洞谷、尾木原山に築城す。山の名前をとって尾木原氏と改名す。
 第壱世尾木原元房氏より第十八世尾木原孫ノ進氏にいたる385年間継承す。源頼朝公に属す。星移り、安土桃山時代、天正九年豊臣秀吉公の鳥取城攻略の煽りを受けて落城し姓を荻原氏と改姓し八上郡河原、長瀬の里に退栖す。
 爾来、歳毎の五月五日の尚武の日と戻りて尾木原城主、城兵及び里人の霊を祀る。里人は是をやぶれ堂と称す。

『尾木原城跡案内板』より

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資料
 

私見
神社の奥には五輪塔があります。  丸山城跡を右に見ながら、吉岡温泉を通過し洞谷にある尾木原城跡に到着しました。小さな木製の標柱があり、すぐにわかりました。道路脇に立つ小高い丘の上に神社が建てられており、その奥に五輪塔がありました。
 日本城郭体系にも載っていないほどのマイナーな城跡ですが、載っててもおかしくないと思うんですがねぇ。
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