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若桜鬼ヶ城跡 登城日:(2000.04.12) 所在地: 八頭郡若桜町 |
歴史 |
若桜鬼ヶ城は応安二年(1369)矢部若狭守が築城したと言われています。その後矢部氏は矢部山城守まで十六代まで続きました。
永録年間(1558−1569)に矢部兄弟が跡目争いをしている隙に、尼子勝久、山中鹿之介幸盛らが襲撃し、城を奪い取りました。これに対して吉川元春がさらに奪い取りましたが、天正六年(1578)には播磨から因幡に攻め入った羽柴秀吉が攻略し、荒木平太夫、木下備中守重賢に守らせました。 同九年、鳥取城落城にあわせて重賢は八東、智頭二郡二万石の領主となりましたが、のちの関ヶ原の戦いに西軍に属したがために天王寺にて自刃しました。 その後は山崎左馬允が二万五千石で入城しましたが、元和三年(1617)には移封され、一国一城令によって廃城となりました。
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資料 |
私見 |
29号線から見える鬼ヶ城は登城が難しそうで二の足を踏んでいたのですが、地元の人に登城口を尋ねたところ、車でかなり奥まで進んでいくことができるということがわかりいってみました。 若桜駅からまっすぐ進んだところの小学校脇の道をひたすらまっすぐ進み、右手に流れる川にそってそのまま2kmほどいきますと城跡への案内表示が出ています。それを左折、そしてしばらく走っていくと山を登っていき、かなり整備された駐車場で車を止めました。そこから本丸跡までは10分もないくらいの距離です。堀切跡や、石垣もところどころに見え、結構昔のままが残されているなあという印象を受けました。三の丸あたりから完全な野面積みの石垣があらわれてきます。こんな高いところにまでよくこんなに石をもってきたなあと感心させられます。山全体を通して言えることが山の斜面の急なことでしょうか。これでは攻め手は大変でしたでしょうね。なかなか攻め寄せることができなかったに違いありません。と言いながら、この城が何度も落城し、その度毎に城主がかわっていたのを思い出しましたが・・ 本丸跡地に天守台も残っています。廃城の折りにかなりの城材を撤去されたと聞いていましたが、それでも充分すぎるほどの石垣が残っており、山城の雰囲気は充分感じ取れます。 この若桜鬼ヶ城、地元でも愛されているのがよくわかる整備のされようでしたが、なぜ沿革を書いた案内板がないのでしょうか?縄張り図だけがあるというのもちょっと変だなと思いました。
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