久松山から南へ約1.1キロの位置にあった仙石秀久陣城は、
鳥取城包囲網の南の一角を担っていました。ちょうど太閤ヶ平から真直ぐ南西に伸びた尾根先にあり、重要な拠点であると感じます。城跡は、芳心寺境内から南へ墓地内に歩いていくと、その一番奥から登城することができました。あまり下草はないものの、蜘蛛の巣の多いこと!木の枝で蜘蛛の巣を払いつつ進もうとすると今度はその蜘蛛の巣が消滅したのをいいことに藪蚊が襲来してきます。9月ではやはりまだ山城には早かったのですね。藪蚊の襲撃に辟易としながらも、斜面上に構築された細かな郭群をチェックしていきます。城は、尾根の先端にあることから、斜面上に実に細かく郭が築かれています。細い尾根ですので規模がつかみやすくていいですね。
すぐに斜面の傾斜が緩くなったかと思うと、郭が大きなものとなっていました。すぐ目の前の主郭は一際大きな段差を持っており、着いたんだなということがよく分ります。主郭はわずかに土塁が残っており、それを見るだけでテンションがあがってきました。また、帯曲輪も周囲に築かれており、その先にはそれに続く郭面が見えています。そしてその先が堀尾吉晴の陣城があったと思われますが、今はそれ以上はやめておきます。それよりも、この城が仙石秀久が実際に居たのか不明で「伝」となっているのがとっても悲しいです。(^^;