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田内城跡
登城日:(2004.03.20)
所在地: 倉吉市巌城
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
巨大な岩が印象的な仏石山  田内城は、今を去ること六百五十年、山名時氏公(1299−1371)約二十年間の居城であった。
 公は、清和源氏の名流で、上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)の出身で、全国六十六か国のうち十二ヶ国を領し六分一殿と称せられる程の隆盛を見た南北朝時代の知勇兼備の武将で、侍所長官として幕政にも重きをなした。
 建武四年(1337)伯耆守護に任ぜられ、その治所としたのが、この仙石山頂に築いた田内城である。急峻な岩山で、東の山裾には国府小鴨の両川が流れて自然の堀となり、また水運にも利用されて城下町が発達し「見日千軒」といわれる程に繁栄した。
 時氏公の嫡子師義公は打吹城を築いて、ここに治所を移したので、当城は廃城となった。
 この遺跡は簡素で、小規模な山城の元の形を今によく残しているが、当時の建物の姿は明らかでないので、後世の諸城を参考にして櫓風に造ったものである。

『田内城跡案内板』より

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資料
 

私見
頂上には2層の模擬櫓があります。  田内城は、倉吉駅から国道179号線を南下し倉吉大橋を渡ったあたりから、右手側の小鴨川越しに小さな城郭風建造物が見えそうで、見えません(笑)。
 巌城橋を渡り、すぐ左折し駐車。そこから登山口から登っていきます。比高もたいしたことないからってことで、思い切って急な斜面をよじ登ることを決めました。オムロンの工場を背に少しずつ足場を確認しながら上をめざします。意外と上のほうは危ないのでこんなことはお奨めしません(汗)。
 さて、頂上は2層の模擬櫓がつくられています。県内では貴重な城郭風建造物ですし、私はこれはこれでいいと思います。そこから北へ今度は登山道を下っていきますと二の丸跡である郭跡があり、山をぐるりと半周しおりてきました。
 とりたててなんということもないんですが、整然と美しくなっている斜面の岩肌が不思議な魅力をもっているような印象でした。だから気がついたらよじ登ってたんでしょうね。
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