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由良台場跡登城日:(2006.03.25) 所在地: 東伯郡北栄町由良宿 |
歴史 |
江戸時代末期、外国船がしきりに日本の近海に出没し沿岸をおかした。幕府は各藩に命じていっそう海防を厳重にするよう通達した。 鳥取藩主池田慶徳は海防上砲台場築造の必要を認めその建設を砲術家武宮丹治に命じた。丹治は文久三年(1863)瀬戸村の武信佐五衛門の宅に来て相談、六尾反射炉をつくった武信潤太郎の建議をもとに由良川の河口に建設することにした。潤太郎はフランス式の築城法をもとに自ら設計し由良藩倉二十一ヶ部落の農民を集め指導監督して建設した。土塁の基礎は東隣の畑の砂を積み上げてつくり、土はかじ山(自動車運転免許試験場)と清水山(元大栄中グランド北隅)より、芝は干目野(県園芸試験場)から運んだといわれる。 由良お台場は六角形で、東西125メートル、南北83メートル、周囲約400メートル、面積約11913平方メートルである。大砲は七門配置され、この守備には農兵があたり、郷土の護りを固めた。数年後明治維新となり、大砲は廃棄改鋳され、台場は大正十四年八月、由良町(現大栄町)に払い下げられ今日に至っている。 この台場はその規模が大きく形の整っていること、原型を完全にとどめている点などから、県内はもちろん全国的にも貴重な存在であり、永久に保存すべきものとして各方面から注目されている。 『由良台場跡案内板』より
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資料 |
私見 |
何度かこの由良台場の前を通過していたのですが、今回初めて訪問しました。というのも今まで台場に興味がなかったんです(^^;;。今日初めてその素晴らしさに触れて、「なんでもっと早くこなかったのか!」と激しく後悔していました。 由良台場は鳥取県内の台場の中ではもっとも状態がよく残っている台場です。まさしく完存していると言うにふさわしい状態ですね。全容をお伝えするために国土交通省の「国土画像情報(カラー空中写真)昭和49年度」を参考までに載せておきます。現在は台場北部に道路が走っていますが由良台場の形状は当時のままです。 道の駅に車を停めてから歩いてこの台場を見に来るのが一般的だと思いますが、くれぐれも児童公園や大砲のレプリカを見て満足して帰らないようご注意ください(笑)。さらにその奥に想像をはるかに凌ぐ幕末台場があなたを待っています。
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