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犬山城

登城日:(1998.12.05→2010.08.28)
所在地: 犬山市大字犬山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
犬山城天守正面 石段と石垣を抜けるといよいよ本丸です  この城は、天文6年(1537年)現在の位置に天守閣が造営され、織田信長の叔父に当たる織田与次郎信康が城主となった。信康は、天文16年(1547年)斎藤道三を岐阜の稲葉山城に攻めたとき、戦死したので、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
 その後、何代か城主がかわり文禄4年(1595年)石川備前守光吉が城主となった。天正12年(1584年)3月小牧、長久手の合戦の際、豊臣秀吉は大阪より12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を布いた徳川家康と対戦した。元和4年(1618年)成瀬隼人正正成が城主となり以後成瀬家の子孫が継いだ。
 明治4年9代目正肥のとき廃藩置県により廃城となり、天守と櫓を除く外は、ほとんど取り壊された。明治24年濃尾震災で天守の東南の付櫓と西北の付櫓、石落としの間などが壊れ、二階も大破した。明治28年城を修理するという条件で、旧犬山藩主正肥に譲り渡され、成瀬家の私有となり現在に至っている。国宝の城で、個人の所有というのは、この城が唯一のものである。
 昭和2年11月20日、昭和天皇が登閣された。昭和27年3月29日規制改正にともない、国宝に再指定された。
 全国で国宝に指定されている城は、犬山城のほか、姫路松本彦根の4つでその中でも、犬山城は最古である。
 なお、この城は、伊勢湾台風などで破損がひどくなり、去る昭和36年4月から総工費約6千万円で、石垣のつみ直しと天守の解体修理が行われ、昭和40年3月20日往年の姿に復元された。
  下は切通し状の道路  左右からのプレッシャーを感じる一本道の登城道  ここを過ぎれば本丸 唐破風の内側

『犬山城案内板』より

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資料 【地図を表示する】
 

私見
まさに今、空堀の調査中。 口髭をたくわえた犬山城のおじさん  犬山城にやってきました。実に12年ぶりの訪城で、前回はまだ成瀬さんの個人所有だったのですから時間が経つのは早いものですね。現在の犬山城は2004年4月から財団法人犬山城白帝文庫の管理となったわけですが、それによって今まで以上に積極的に史跡としての調査、整備をされるようになったと思います。近年も新発見の切岸遺構がニュースになったりしましたね。今回訪れた時もなにやら堀の中にブルーシートがかかっていましたのでまた新たな発見があるのかもしれないなとワクワクさせてくれる、そんな現在発展形の国宝犬山城です。
 駐車場からはお決まりの一本道の登城道を歩いていきます。眼下を交差する切通し状の道路を眺めつつ、犬山城の銘が彫られた大きな石が出迎えてくれています。この字は旧城主の成瀬氏の手によるものだそうですね。ここは記念撮影のお決まりのようで子供を立たせてカメラを構えるお父さんが頑張っていますよ。  いざ本丸へ。犬山城は後方堅固の城と称されるように背後を木曽川や断崖によって守られていますので、南側から登城していくことになります。まるで攻め込むものを誘い込むような一本道の両脇には郭が待ち受けており、松の丸、桐の丸、樅の丸、杉の丸と続き、一番奥に本丸となります。実際に攻め込むならこんなルートはまずとりたくないですね。途中に空堀がめぐらされており、調査中の様子が確認できます。そして本丸までの石段が本丸への到達の感動を演出してくれるかのようです。時折見える石垣の中に鏡石のような巨大なものが入っているのですね。そして本丸入口にある櫓門(ここで入城券の半券を切られる)をくぐって入城です。
1階に残る上段の間 天守最上階から木曽川の眺め  本丸は予想以上の人出にまず驚きましたが、まずはカメラを覗き込んでできるだけ人が入らないように天守のカットを撮影することだけに集中します。8月ですので本丸内に植えられた木々も青々として多くの葉をつけているのが天守を隠してしまうことになっているのが実に残念です。もうちょっと木を減らすか葉の少ないものに替えるとかしてもらえないものでしょうか。天守がベストな状態で撮影できるように考えるのも非常に重要だと思うのですが。
 ひとしきり撮影が終わると、久しぶりの犬山城天守のおじさんぶりを改めて確認できて大満足です。唐破風がちょうど口髭になり、天守が人の顔のように見えるのは私だけではないでしょう。そしてこの口髭をたくわえたおじさんが犬山城の城主なのだと思いながら登城するのもきっと皆さんも同じですよね?
 天守内部は、現存天守ならではのシンプルかつ往時をよく残した状態で期待通りです。ただ1階に見られる城主の間は畳が敷かれた書院造りとなっていますのですが、これは幕末近くに改修したものです。長期化した平和の象徴と言えるものなのかもしれませんね。続いて2階は武具が陳列され、そして3階は口髭部分の唐破風が内部から観察できるようになっているのが興味深いです。カーブを描く破風の内側はまさしく木だけでできているんだと分り(当たり前ですが)、木造建築の構造美に酔いしれることができます。そして最上階の高覧の間、ここは無粋なネットや格子がない状態で360度の景色を楽しむことができる大変ありがたい状態です。まずはやはりなんといっても木曽川の流れに目を奪われますね。そして築城当時もこのように滔々と流れていたのだろうかと思いを馳せつつ、天守を満喫するというのがお決まりコースでしょう。
 犬山城は散策ルートにあまり個人差が出にくく、物足りない部分があるかもしれませんが眺望の素晴らしさだ けは間違いないですね。また木曽川対岸からの眺めも格別です。今度は犬山で宿泊して、朝夕の顔を見てみるのもいいかなと思い、城をあとにしました。
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