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木下長嘯子屋敷跡


登城日:(2006.02.13)
所在地: 名古屋市中村区中村町字木下屋敷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
常泉寺脇にある木下長嘯子屋敷 ◆木下長嘯子宅跡
 長嘯子(木下勝俊)は、木下肥後守家定の長子、北政所(秀吉正室)の甥である。
 豊臣秀吉のもとで若狭九万石を領したが、関ヶ原の戦いでは去就に迷い、所領を失った。
 こののち、京都東山に幽棲、風月を楽しんだ。歌文に秀れ、和歌史上一時代を画したものがあると高く評価されている。

『木下長嘯子屋敷跡案内板』より

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資料
 

私見
 木下勝俊と言えば龍野城山崎城と播磨の城主を勤め、その後小浜へと移封された秀吉の妻方の一族として出世していました。しかしその後領地を失ってからの歌人としての存在のほうが私には印象が強い人です。戦国の世ではそういった生き方のほうが長生きするんですね。
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