幕末になると日本海沿岸にロシア船が出没し、小浜藩の沿岸警備が始まりました。
ここ川崎御台場は安政元年(1854)小浜藩が川崎町の重田卯右衛門に命じてつくらせたものです。台場はこの他五ヶ所つくられ大砲は全部で五十五門ありました。
大砲の玉は百匁から十六貫目まであって、川崎台場には七門が据付けられていました。台場は重田卯右衛門や黒鍬八兵衛らの奉仕でつくられ、大砲の鋳造費は町方商人に課せられました。
川崎台場はこのように日本海側の沿岸警備のためつくられましたが、明治に廃止され、跡地は現在この公園となっています。