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海手浦台場跡
登城日:(2007.05.05)
所在地: 小浜市雲浜2丁目
【歴史】
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【資料】
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【私見】
歴史
海手浦台場は、安政二年(1855)に
小浜藩
が
川崎台場
と同時期に築造した西洋式の砲台場跡である。
小浜は京都北辺海岸に位置することから、京都の防衛が重視された地域であった。嘉永四年(1851)6月、領内に挙国一致して国防に当ることを強調するよう達しを出した。自領の防衛だけではなく、国防としての行動であることを領民に知らしめることで奮起を促したのが特徴的であった。
小浜藩
は嘉永、文久期には敦賀湾沿岸に重点を置き、物資輸送の重要拠点である港の防備に力を入れて台場築造を行ったが、安政期になると小浜城下に注力するようになった。小浜城下には町浜台場と称して、東から
海手浦
、
御城浜
、河崎、
川崎
、
松ヶ下
、
八幡下
と呼ばれる台場が次々と築造、改修されていった。
『幕末海防史の研究』名著出版刊参照
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資料
私見
海手浦台場があったとされる辺りは現在の小浜中学校のグラウンドがあるあたりでしょうか。当時よりも少し埋め立てがされたようですが、
川崎台場
跡に残る遺構からだいたいの海岸線のあたりをつけて台場跡地とさせていただきました。
それにしても小浜藩は安政期になって次々と金のかかる台場を造っていったのでしょうね。しかも造り替えも行ってまで・・。
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