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丸岡城
登城日:(1998.11.20→2006.05.03)
所在地: 坂井市丸岡町霞町1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
撮影が難しい逆光気味の丸岡城天守 松の木がよく合う丸岡城 天正3(1575)年、織田信長は北陸地方の一向一揆を平定するため大軍を派遣し、当時丸岡の東方4kmの山中にあった豊原寺を攻略し寺坊を悉く焼き払った。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、守護職とし、北ノ庄に築城を命じた。勝家は甥の勝豊を豊原に派遣し豊原城を構えたが、翌天正4(1576)年豊原から丸岡に移り城を築いた。これが現在の丸岡城である。
勝豊以後、安井家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となった。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かに石垣を残し城域は公園となっている。昔の城郭は五角形の広い濠を有し外郭に侍屋敷を配置し、さらに河川を利用し外濠を設け寺院民家を包容し城下町を形成していた。
丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通じ柱がなく、一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は二重で内部は三階となっている。又、屋根が全部石瓦で葺かれているのが全国にも稀な特徴である。
丸岡城西面より このような古調に富んだ望楼式天守閣は後の時代の松本城彦根城姫路城など層塔式天守閣と比較すると、いかに城郭建築の初期のものであるかがうかがえる。昭和9年国宝に指定されたが、昭和23年福井大地震により倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建された。

『丸岡城パンフ』より

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資料
   ◆主な城主   天守手前に配置された石垣  この井戸から大蛇がでる?らしい  丸岡城天守は木の造形が美しい 石の鯱が置かれています

柴田勝豊 天正4〜天正10 (1576〜1582)
安井左近家清 天正10〜天正11 (1582〜1583)
青山修理亮 天正11〜天正15 (1583〜1587)
青山忠元 天正15〜慶長5 (1587〜1600)
今村盛次 慶長5〜慶長17 (1600〜1612)
本多成重 慶長17〜正保4 (1612〜1647)
本多重能 正保4〜慶安2 (1647〜1649)
本多重昭 慶安2〜延宝4 (1649〜1676)
本多重益 延宝4〜元禄8 (1676〜1695)
有馬清純 元禄8〜元禄15 (1695〜1702)
有馬一準 元禄15〜享保18 (1702〜1723)
有馬孝純 享保18〜寛延3 (1723〜1750)
有馬允純 寛延3〜安永元年 (1750〜1772)
有馬誉純 安永元年〜天保元年 (1772〜1830)
有馬徳純 天保元年〜天保8 (1830〜1837)
有馬温純 天保8〜安政2 (1837〜1855)
有馬道純 安政2〜明治2 (1855〜1869)

私見 南側からの丸岡城天守。 石瓦で有名な丸岡城  8年振りの再訪となった丸岡城でしたが、すでに3時を過ぎています。丸岡城に来るならお昼までのほうがいいのでしょうね。せっかく今回は晴れの写真を撮れるかと思っていたのですが、逆光でうまく天守を撮ることができません(;_;)。しかしその時間帯のせいか訪問者もほとんどなしで、じっくりと丸岡城を堪能することができます。井戸の案内板にありましたが、別名となる霞ヶ城の由来はここが春先によく霞に包まれるからだとか。幻想的な雰囲気となるのか、ただ単に天守が見えなくなってしまうだけなのか(^^;、見てみたいものです。

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