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高山城跡登城日:(2007.05.04) 所在地: 高山市城山、城山公園 |
歴史 |
標高686.6メートル、通称城山、別名を臥牛山、巴山ともいう。金森入国以前は「天神山城」と呼ばれた。飛騨の守護代である多賀出雲守徳言によって、文安年中(1444〜49)に築城され、近江の多賀天神を祀ったことから多賀天神山、城は多賀山城と呼ばれた。永正年間(1504〜21)には高山外記が在城していた。 天正十三年(1585)七月、金森長近は、秀吉の命を受けて飛騨へ侵攻し、翌年飛騨一国を賜った。城地として、最初は鍋山城(現漆垣内町)を考えたが、後この天神山古城跡を選定した。飛騨の中央にあり、東西南北の街道が交差する最も適所と考えたのである。 築城は天正十六年(1588)から始め、慶長五年(1600)までの十三年で本丸、二之丸が完成し、以後可重によって更に三年で三之丸が築かれた。高山城は信長の安土城構築直後に築かれ、大きな影響を受けている。軍事的機能を最優先させた城ではなく、御殿風の古い城郭形式をもち、外観二層、内部三階の構造をもつ天守をそなえているのが特徴で、秀吉の大坂城築城以前における城郭史上初期に位置づけられる。 本丸屋形には台所、風呂、大広間、茶室などがあった。南の大手方面には南之出丸、北の搦手方面には東北曲輪、中段屋形が配置される。 『高山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
早朝賑わう高山陣屋そばの駐車場に車を止め、そこから陣屋向かいの山を見上げます。山上にはかつて高山城が建てられていたのです。麓の賑わいとは裏腹に城山にあがってくる人は誰もいませんね。おかげでじっくりと城跡を堪能することができますよ。 城は山頂部を本丸、そこから北へ二之丸(現在公園化)、そして神社や保育園となった三之丸と続きます。かなり大きな城域となっています。三之丸脇にはL字状に残る水堀が貴重な遺構の1つです。 さて、実際私があがったのはそうした縄張りとは無関係に現在遊歩道が作られているのをそのまま使って南側から回り込んでみました。かつての大手門は南側にあったというですが、城下町とは異なる向きにあったのが面白いですね。ところどころに石垣が見られますが、破城の跡ですからこれでも十分残っていると言ったほうがいいのかもしれません。そうした破城の跡をあちこち観て回るのが高山城の面白さなのかなと感じていました。予想以上に静かに楽しめるなかなかいいお城ですよ。
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