Check |
新高山城跡登城日:(2008.02.11) 所在地: 三原市本郷町 |
歴史 |
小早川氏の祖、土肥実平・遠平父子は、源頼朝の平氏追討に当って終始勲功をたて、はじめ備前、備中、備後の三国の守護の地位を与えられたが、安芸国沼田荘(沼田川流域一帯、蓮華王院領)の地頭職を得ると一族あげて相模国から西遷して来た。 鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城であったが、沼田小早川家を継いだ隆景は、これまで高山城の副塁であった新高山城の大改修を行い、天文二十一年(1552)にここに本拠を移した。 以来慶長元年(1596)に三原城に移るまでの45年間、この新高山城が小早川氏の本拠となった。 この城郭は、標高197.6メートルの新高山城の天嶮を利用した山城で東西400メートル、南北500メートルの全山を城塞としている。 山頂尾根を削平した本丸、二の丸、三の丸など各種の郭は60余に及ぶ広大なもので、城主や家臣の居館を山上にあげた中世山城から近世の城郭への過渡期を示す城郭である。 ◆鐘の段 城山の南斜面中腰に半独立的な小丘をなしている郭で鐘の段と呼ばれる。 この鐘の段は、北方背後に土塁を設けた二郭、東側に大小二郭、西南側に三段の郭を配置している。 鐘の段を中心としたこれらの郭は、地形、縄張りなどからみて、中世初期の独立した山城(丘城)の形態をなしており、この部分の築城年代は古いものと思われる。 ◆番所跡 軽石の段、中の段、下の段の三郭からなり、大手道を警固する番所が設けられていたところである。 この番所の東西と西方にもそれぞれ東の番所、西の番所と呼ばれる郭が残っている。 ◆匡真寺跡 小早川氏の菩提寺跡で、隆景は、天正五年(1577)亡父毛利元就の七回忌、亡母妙玖尼の三十三回忌に際して、ここに匡真寺(現在三原市宗光寺)を建立し、法会を盛大に営んだ。 寺跡は東西41メートル、南北72メートルに及ぶ広大なもので、全面に瓦片が散乱し、築庭を思わせる湧水池・築地塀の跡などが残っている。 ◆中の丸(二の丸)跡 本丸の北方に四段の郭からなる東の丸、井戸郭、五段の郭からなる中の丸、西方にも四段の中の丸の各郭が配置され、これらが二の丸の縄張りである。 中の丸の郭には随所に土塁を築き、曲輪を設けて防備を固めている。 また、北方の中の丸の広い郭には礎石の配置が一部見られ、規模の大きな建物があったことが知られる。 ◆大手門跡 大手道を登りつめたこの場所は、外枡形の大手門跡と推定される。 三原市内にある宗光寺の山門は、重要文化財で高山城(新高山城)の大手門を移したものと伝えられているが、ここにその門が建っていたものと思われる。 ◆釣井の段(井戸郭) 上下二段からなるこの井戸郭は、東西南北ともに50メートル余という城内最大の郭である。 上段の郭には径約2メートルの円形石積井戸が四ヶ所、下段の郭には径約4.2メートルと2.2メートルの円形石積井戸が残っている。 今なお、清水を湛えたものもあり、城主をはじめ多くの家臣団の城内生活を物語るものである。 ◆本丸跡 本丸は、山頂尾根を削平した四段からなり、東西125メートルに及ぶ広大な郭で、西側と北側の斜面は巨石による石垣で補強している。 東端の最高部は標高197.6メートルで巨石が露出しているが、この上に櫓をあげていたものと思われ、近世城郭の天守台にあたる郭である。 本丸の広い郭には、居館の跡と思われる礎石が一部露出しており、また西側の中の丸からの登り口にあたる本丸西南隅には内枡形の跡が残っている。 『新高山城案内板より』
|
資料 |
【地図を表示する】
|
私見 |
新高山城は、東麓に駐車場が設置されていますので安心して車で訪れることができます。全然知りませんでしたが、岐阜城、春日山城と並んで三名城に数えられることがあるんですねぇ・・・。『75人で守ればどんな大軍も寄せ付けない』とまで言わしめる新高山城は標高197メートルの山上にあります。比高でも170メートル以上ありますが整備されていますのでそんなに苦労することなく山頂までいくことができると思います。まぁ往時はそんなお気楽には登れなかったはずでしょうけどね。 まずは鐘の段です。登城道を左へとそれると独立した1つの山城としてもおかしくない広い郭と南尾根先へと段々につながる郭群が広がっていました。そして東番所含むここ一帯は南側を睨む存在なのでしょう。 そして登城道を戻ると番所跡でしっかり上から見下ろせるようになっています。その先の広い削平地が匡真寺跡です。水が堪っていたのは確認しましたが庭園跡を思わせる佇まいは堅牢な山城であることを忘れさせられますね。 そしてようやく山頂部の尾根上に到着です。ここは右へ進むと本丸方面ですが、まずは左を向いて西の丸、北の丸を目指します。空堀、堀切、石積みなどの遺構が良好に残っています。ここまでくるとなんか贅沢ですが、想定の範囲内となってしまいあまり感動しなくなってる自分が憎いです(^^;。 しかし本丸へと歩みを進めると一気にテンションがあがってくるのが自分でもわかります。思わず大手門跡の斜面を駆け下りると釣井の段のあちこちにある井戸が6つもあるじゃないですか!ここまで水を確保できる城を見たのは初めてです。規模こそ石垣山一夜城の井戸曲輪に及ばないものの、こんなに隣接した井戸がそれぞれ当時は井戸としての役割を果たすことができたのには驚きです。隆景は水の手の利を計算に入れてここを本城としたのでしょうか?また、周囲に隠されて守られた感がするこの地形もいいですね。 最後に詰めの丸で一気に広がる眺望にも感動し、見下ろせる格好となった高山城が飛び降りたら行けそうな気がします(絶対にやっちゃだめですよ(汗))。なぜかここには音声ガイドが設置されていますので、眺望に癒されながら、新高山城の歴史や往時に想いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
|