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荒井村構跡
登城日:(2004.11.14)
所在地: 高砂市荒井町御旅1丁目、八幡神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡の中心部と言われる神社  荒井城(荒井村構)は、嘉吉年間に築城され、初代城主は杉岡蔵人であった。蔵人は小松原城主小松原盛忠の孫、小松原景満の第二子として生まれ、兵庫頭杉岡蔵人烈滋朝臣(祐利)といった。
 はじめは高砂構主であったが、重臣の娘婿梶原某に任せて荒井城主となった。
 嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱により幕府は赤松満祐討伐軍を編成した。赤松方であった杉岡蔵人には山名宗全幕下の太田垣某が攻め寄せてきた。蔵人は加古川の木村城主である雁南右京太夫、阿弥陀城主の蔭山右近治郎を味方に引き入れ、揖保郡魚吹八幡神社まで出陣し、太田垣勢を敗走せしめた。
 城は最後の城主として慶長年間に杉岡惣太夫の名が見られる。 

『高砂市史』高砂市刊参照、他

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資料
 

私見
 名前しか分からなかった荒井村構跡(荒井城)でしたが、盟友不動石氏の調査によりその存在がわかりました。また情報もいただけましたのでここで紹介させていただけております。m(_ _)m
 現在は小さな八幡神社が建っているあたりが城跡とされていますが城域はもっと大きなものだったのでしょうね。また、神社のすぐ西側に立つ利生寺の山門は、城の西門であったと言われています。
 今まで全然知らなかったこのあたりの中世の歴史に触れることができたのはラッキーでしたし、何よりも加古川南部に位置する小さな構跡と高砂市にある小松原城、高砂城、荒井城などのつながりが見えたのが非常に大きな発見でした。
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