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柏原陣屋跡
登城日:(2000.03.18)
所在地: 氷上郡柏原町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
見事な唐破風ですね。 柏原藩陣屋跡 柏原藩は慶長三年(1598)に、織田信包によって開かれました。信包は信長の弟であり、伊勢津城主でしたが、永録三年(1570)より剃髪して老犬斉と号し、京都で閑居の身となっていました。その後篠山築城の助役を命じられた信包は慶長十九年に没しました。以後は、信則、信勝と三代五十二年続きましたが、慶安三年(1650)信勝は二十八歳で病没し、織田家は嗣子のないままに除封され、封地は天領となりました。
その後、元禄八年(1695)に、信長の二子信雄の孫である、大和郡山城主織田信休は宇陀騒動によって封地は半減、二万石で移封されてきました。
入封した直後は藩邸もなく、民家に仮住居をとっていました。正徳三年(1713)にようやく藩邸構築の許可がおりました。実に移封後、十九年の時が経っていました。しかし、その藩邸も文化十三年(1816)、邸内から出火、全壊し、再建を余儀なくされたのであったのです。
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資料  

私見
門脇に小さな石碑があります。  柏原藩があった柏原町はいまだその趣が残っている城下町です。篠山市から176号線を北上すると柏原町に入ります。柏原駅の手前の信号をすぐ右折すると右手に柏原陣屋跡を示す長屋門が見えてきます。この長屋門もそうですが、その奥に見える唐破風を構えた陣屋にも感動です。有料200円という札が出てましたが、誰も見当たりません。ま、急いでたのでどうでもよかったですが今思うとちょっと残念です。また行くことにします。  でもこの柏原陣屋の一番の魅力は、あの信長の一族がこんなところで細々と長らえていたんだなと感じるところでしょうね。私も最近まで知りませんでしたし・・・
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