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金山城跡 登城日:(2004.02.29) 所在地: 篠山市追入 |
歴史 | ![]() この金山一帯には数々の文化財が存在している。登山口には赤坂の観音堂があり、風呂の谷奥には「役の行者」が祭られ、その二枚岩の間には文政の年号を刻んだ不動明王の石仏が安置されている。そのほか民話として有名な「鬼の架け橋」「天岩」等の景勝地があり、ハイキングコースとして訪れる人が多い。 ![]() 天正六年(1578)二月、三木城主別所長治が織田信長に背きます。篠山盆地一帯を支配していた戦国大名波多野秀治は、この謀反を支援して他の丹波国人衆とともに一斉蜂起します。信長は明智光秀に征討を命じ、同年三月にその軍勢が丹波へ侵攻することになります。 秀治はその居城八上城にあって、氷上郡にある黒井城の赤井氏と連携しながら、光秀に対し徹底抗戦を続けます。光秀は、この両者の連携を最も恐れていました。光秀には、天正三年(1575)に黒井城を攻めた際、秀治に背後から襲撃され京へ命からがら逃げ帰った苦い思い出があったからです。 光秀は、秀治と赤井氏との連携を分断するためにその後ここに金山城を築きます。すなわち、多紀郡(現篠山市)と氷上郡の郡境にあって、両郡を結ぶ交通上の要衝であったこの地は、両者の連携を遮断するに格好の地であったからです。これが功を奏したのか、八上城は天正七年(1579)六月ついに落城し、戦国時代に勇名をはせた波多野氏は歴史の舞台から消え去ることになります。 『金山城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 登城口には案内板と「1270メートル」の表示が私をちょっと不安にさせます。が、確かによく整備されているようで非常に登りやすい道が続いていました。また途中で「あとxxメートル」という表示があるのも安心して登ることができました。 やがて瓦や木材が散乱する園林寺跡が見え出したころから一気に山城が姿をあらわしはじめました。すでにこのあたりは金山城の出城です。そしてその先が馬場跡。ってここまで馬できてたんですね。その先が鬼の架け橋、本丸、トンネルへと続く分かれ道があります。私は迷わず本丸へとルートをとりました。がその前に二の丸へ。そこは巨石がごろごろ転がっていました。なんとも雑然とした雰囲気の二の丸跡です。 ![]() 最後に、鬼の架け橋から下を眺めて下山しましたが、たっぷりと時間をかけてあちこち動き回りましたので心地よい疲労を味わった一日でした。
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