
三枝家は室町時代よりこの地に住み移り、代々小堀城主をつとめました。現在は竹薮、民家、田圃などかなりの部分で破壊されてしまい確認しづらい状況ですが、その規模はかなりの広さです。土塁が現存しているということですが、たしかに部分的に確認できるものもあります。最初は神社と勘違いしていたのですが当サイトをご覧くださった小堀さんのおかげで修正することができました。はじめはその規模がわかりにくいですが、よくよく考えてみるとこの城跡結構広いですね。
たまたま
堀井城の現地説明会を聞きに行く際に小堀城の前を通りかかっただけだったのですが、ものすごい衝撃を受けました。はっきりいって
堀井城がどうでもいいと思ってしまうほどでした(笑)。今まで分厚い竹藪のガードに覆われていた小堀城の現存土塁がはっきりと表に出ているじゃないですか。高さ2メートルほどの南北に1本の土塁が伸び、南西隅には西門とされる開口部をもっています。東に折れるようにして門らしき痕跡をはっきり残しているのも素晴らしいです。小堀城はこの土塁の東側に三郭、そしてすぐ北にあるお屋敷を二郭、さらに道路をはさんで北東方面に主郭、その北に四郭と広がっていたとされています。決して竹藪だった西の土塁付近だけじゃないんです。規模で言うと付近にある
河合城にも匹敵しそうですね。参考までに国土交通省の「国土画像情報(カラー空中写真)昭和55年度」の写真を掲載しました。よく見れば主郭付近にも土塁跡と思しきものが現存していますので、地元の方の御迷惑とならないよう配慮して見学してください。「緊急雇用創生事業」だったかで竹藪伐採に予算を割いてくださった小野市さんに感謝です!

2010年3月14日の現地説明会に行ってきました。すっかり綺麗に切り取られた竹藪跡地に残る土塁が見事です。南北に延びたそれは途中で2度高さが変わりますが、どういう意味を持つのでしょうね(聞いていたのですが、忘れました。)説明会の後で土塁に登ったり、南西部の門跡を通ったりと慌ただしく写真を撮ります。この時は特に注意はありませんでしたが、説明会後になって来た人の話では「土塁に登らないよう」注意看板が設置されていたんだそうです。どうも説明会の時だけの特別な措置だったのでしょう。貴重な土塁上からの写真が撮れてよかったです。
説明会の中では、西側だけに残る見事な土塁があることから、従来北西部にあったと考えられていた主郭の位置は実は南西部だったのではないかという見方を検討しておられるようでした。あとは近隣の
河合城、
堀井城などの位置関係を考え、互いの役割やなぜこの一帯にだけ大きな平地城館が集まっているのかはこれからの研究課題であるということでした。城の規模は分かってもそこからまだまだ考えていかないといけないのは大変なことですね。そうそう、土塁以外の場所に生えてくるたけのこは自由に採っていいんだそうです。史跡保護のため?せっせと採って食べてくださいってことみたいですよ。また、ここのたけのこは「美味しい」らしいです。(^^

ひとしきり西側の土塁を見て回ると、今度は東側に残る土塁も見て回ることにしました。今まで民家があることに遠慮して近くまで行きませんでしたが、ちゃんと道がついてたんですね。おかげ様で城域を想像しやすい形で残る土塁を間近で見ることができました。こちらはかなり削られているのでしょう、残っているものはかなり薄っぺらい状態です。あとこの城には明確にここだと示された井戸がなかったように思います。堀井城が城域内にいくつもの井戸を持っていたことを考えると1つか2つは出てきてもよかったのですが、畑や田圃にする際に破壊されてしまったんでしょうか。これくらいはあの場で聞けばよかった・・、でもまぁ小堀城を再確認できていい機会でした。