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三木陣屋跡
登城日:(2004.07.10)
所在地: 三木市本町2丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
三木陣屋跡  三木陣屋は、元和七年(1621)に築造され、小堀遠江守が仕置人として配され、柴田五兵衛が代官として就任した。三木郡に陣屋が建てられるようになったのは、当時の三木城主小笠原忠政が在城二年目の元和五年(1619)に明石城に移ったために、三木郡は分断されて半分が天領となったためであった。
 当郡内は幕府領であったために譜代大名の領域となり、特に江戸時代中期以降は、館林藩主松平武元の領下となった。

『古文書による三木陣屋と代官たち』三木市観光協会刊参照

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資料
 

私見
三木陣屋跡  三木陣屋跡へやってきました。というか今まで何度も来ていたんですけどね、現在の三木観光協会と商工会館が建つあたりがかつての陣屋跡なんです。上の丸城跡を見上げる形になりますが、ここも陣屋が建つ前は中島丸として曲輪の一つだったんです。現在は陣屋跡の痕跡はまったくないんでしょうが、それにしてもこの三木陣屋は複雑ですね・・。館林松平以外にも浜田藩など譜代大名が入れ替わり立ち代りとなるのです。が、そのうちの一柳氏の高木藩だけは、別に高木陣屋があったんですねぇ・・。うぅむ。
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