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空木城跡


登城日:(2005.11.13)
所在地: 姫路市林田町上伊勢
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神坐の窟から見た空木城  空木城は応仁年間(1394−1428)に築城されたとして、城主に赤松伊予守義雅の家臣喜多野新左衛門忠助がいたとされる。後に嘉吉元年(1441)赤松氏の家臣小野七郎右衛門が在城したという。(「日本城郭全集」)
 置塩城城主赤松則房の家臣、原田大炊助が最後の城主だったが則房が羽柴秀吉の姫路城修築に伴う置塩城解体の頃と同時期に城としての運命を終えたとされている。

『空木城跡案内板』、『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
空木城主郭跡  空木城にはいつか行こうと思っていました。確か今年になって県道413号線側から登城する道が整備されたみたいだなと思ってたんですが近づいていってもまったくその様子がありません。城山がどこなのかはわかりますから「ここしかないだろう」という脇道に入っていきましたがどうも自信がない・・・。地元の人をなんとか捕まえてようやく目指す駐車スペースまでたどりつきました。
 ススキが延び放題でしばらく人がきていないんだろうなという雰囲気でいっぱいです。夢前町との合併後に改めて整備するんじゃないかとは地元の方のお話でしたが。
 1キロ未満で城跡までいけるのですが、少し遠回りして神坐の窟を目指してみます。最後の100メートルは急な登りで虎ロープが手放せません。直前にあった垂直の岩場にロープが着いていましたが「まさかここを登るの?」と焦りましたがおそらくあれはロッククライミングかなにかの練習用なんでしょうね(^^;
 神坐の窟とは大きな岩窟で巨大なのぞき穴のようになっていました。すさまじい眺め、その上から周囲を見渡せば気分爽快です。でも風があったら恐ろしくてとても立ってられないかもしれません。
 神坐の窟から空木城跡をのぞんだ後は500メートル北の尾根先にある城跡まで縦走します。城跡の手前に堀切らしきものがありましたが「中世城館調査報告書集成」ではそんな遺構は載ってなかったしなぁ・・と思いながら頂上にあがってみます。長細い削平地が2段、その先北西部にもあったかな、だいたいイメージ通りの状態です。ただそこに置かれていた縄張り図には周囲を何本もの大きな竪堀が書かれていましたので「こんなに遺構盛りだくさんの城跡だったの?」とびっくりしていました。
 別名「赤松遠見の城」らしく、ここからは塚本向山構窪山城、城山城、梶山城などが見えるそうです。”遠見番”といって見張り役のことを言いますが赤松氏の見張りのための砦として機能していたのでしょうね。現在もはるか南の海までが見えるほどです。
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