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和田岬砲台跡登城日:(2006.1.20) 所在地: 神戸市兵庫区和田崎町1丁目1番1号 |
歴史 |
当砲台は通称其の形が臼に似ているので「臼砲台」又、石で塁んであるので「石堡塔」と言われていた。建設は幕府に攝海防備の論が起り、勝安房守の建策により其の設計に基き、文久三年工事に着手、灘の嘉納次郎作が之を請負い工費二万五千両を費し、元治元年九月に竣工した。其の間約二ヶ年を要しているが、工事期間中に十四代将軍徳川家茂、勅使姉小路公知少将、一橋中納言慶喜等が次々と工事督励に視察に来訪している。 幕府は同時に市内の川崎、舞子、西宮及び今津の各所に同型のものを建設したが何れも現在はその跡を止めず当砲台のみが遺り往時の面影を偲ぶことが出来る。 砲台の高さは約六間、周囲約二十一間、外囲は御影石にて築き内部は木造二階建て、砲は屋上に十六門、砲門に十一門、計二十七門を備付ける予定であったが、実際には備付けられず勿論実戦にも使用されたことがなかった。 材料の御影石は遠く備前、備中の瀬戸内海の島々より運び、材木は神戸背山の諏訪、布引、北野、鉄拐の山々から伐材して使用された。 現在史跡として保存の措置を講じている。 『和田岬砲台跡案内板』より
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資料 |
私見 |
和田岬砲台は三菱重工業株式会社神戸造船所内にあります。事前に電話予約してましたので正門前まで担当の方がパンフレットを持って来てくださいました。そこから徒歩で約20分、かなり広い構内は約6000人の方が働いているそうです。 砲台が見えてきました。高さ11.5メートル、幅15メートルのそれは三菱さんの構内にあるからなのか、すごく小さく見えました。かつては周囲に星型の土塁を擁していたのですが、それらはすっかりなくなってしまっています。西宮砲台と違い、内部の木造建築が残る貴重な砲台なのですが2005年10月に石垣の崩落が見られ、内部見学が不可能となってしまっていました。かろうじて二階の銃眼から内部を覗き見ることはできますので天井の木組みや二階の内部の様子がかすかに伺えます。といってもほとんどブルーシートで覆われていますが・・・(--; また内部には大砲冷却用の井戸が掘られているのは驚きですね。それらがいつか見られるようになることを祈りつつ、早急に復旧工事をお願いしたいところです。神戸市の方は「2〜3年後には・・」という発言をされているらしいですが、我々から積極的な運動をしないことには本腰をあげてくれないんじゃないかなぁと思いました。 そうそう、夏場の見学はやめてほしいという話を担当の方から聞きました。老人クラブの団体さんがたまに途中で倒れてしまうことがあるとか(^^;。正門から20分の徒歩はかなりきつい運動になるようです。ご注意を。 平成20年に文化庁、兵庫県、神戸市と三菱重工業らで和田岬砲台を修復することになったようです。早く内部まで見学できるようになればいいですね。
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