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八木土城跡 登城日:(2004.08.08) 所在地: 養父市八鹿町八木 |
歴史 |
八木土城は、平安末期の康平六年(1063)頃に閉伊四郎頼国がこの地を与えられた時に築城されたという説がある。その後鎌倉初頭の建久五年(1194)に朝倉高清が源頼朝から但馬国朝倉(八木の東隣の国)を与えられ城を築いたが、領有権をめぐって閉伊氏と朝倉氏が対立し閉伊氏が滅ぼされる。そして高清の次男重清が八木庄に入り八木安高と名乗り、八木庄に館を築いた。その屋敷跡が国指定史跡でもある「殿屋敷跡」である。以後約360年間、豊臣秀吉の但馬攻めまでの間、八木氏が居城することになる。
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資料 |
城主関連年表
『城下町八木散策絵地図』より参照 |
私見 |
すでに八木城の本丸に到着した頃には汗だくになっていました。が、ここで引き換えすわけにはいかないでしょう、ってことでそのまま奥へと進みました。私にとってはここからが未踏の地でした。 土城跡は八木城から200メートルほど尾根を奥に登ったところにあります。階段のように細長く連続して曲輪が作られています。草が足首あたりまで伸びていますので判別しにくいのですが、下八木登山口に置かれた資料によりますと15の曲輪があるようです。土塁の残存状況や地形の妙を楽しむこの土城を、なんでこんな季節に来ているんでしょうか(笑)。ひたすら細長い城域を進んでいきます。が、それでも土塁はよく残っているのはわかります。特に顕著に残っているのが主郭手前のもので、枡形を形成しています。これが外枡形虎口なんでしょう。八木城を築城した後でもこの土城も詰の丸として利用していたんだという証といわれているんですね。 もしこの城へ行こうと考えられている方がいらっしゃれば、夏場は避けることを強くお奨めします。土塁鑑賞がもったいないです、ほんと。(^^;
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