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久美浜城跡登城日:(2005.05.05) 所在地: 京丹後市久美浜町 |
歴史 |
久美浜町の西端である字城山には別名松倉城と呼ばれる山城が存在していた。いつ頃築城されたのかは不明だが松倉周防守の居城であったということは伝わっている。 松倉氏は、天正十年(1582)に信長の命を受けて丹後に入った細川藤孝の武将松井佐渡守康之と戦い討死。以後は松井康之が城主となった。 豊臣秀吉の鳥取城攻めの際には、康之は水軍を率いてこれを助け、七千石を加増され知行二万石となった。 慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの際には細川藤孝の子忠興が東軍の徳川家康に属した為に、久美浜城は西軍によって焼き払われた。戦後には忠興は豊前国小倉城主として二十万石で移封となり、また松井康之もまた豊後国杵築二万六千石で移封となったために当城は廃城となった。 『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
久美浜城へ登城するためには小学校裏手にある小さな稲荷神社の参道を通っていくことになります。といってもすぐに小学校の校庭に入ってしまうことになるので「あれ?」と思ってしまいます(--;。 比高はたいしたことないのですぐに登ることができると思いますが、上がってみるとなかなか・・。郭が連続しているじゃないですか。一見すると後背山城を小ぶりにした感じ(って言いすぎ)かな。とは言え夏場には下草で何がなんだかわからなくなりそうな山城ですので訪城されるなら晩秋から春までの間なのでしょうね。 美しい久美浜湾を眺めることができるだけでもいいと思いますよ。
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