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妙顕寺城跡登城日:(2007.08.08) 所在地: 京都府中京区古城町 |
歴史 | ![]() ◆閑院址 ここから北西にあたる西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に囲まれた地域は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて藤原氏の邸があったところである。当初は藤原冬嗣の邸であったが、十一世紀初期に藤原公季が伝領してから「閑院」と称した。 また、高倉天皇の時代(1161〜1181)大代理が甚しく荒廃したため閑院邸が里内裏(臨時に設けられる皇居)として利用され、次いで後鳥羽天皇もここで皇位を承継するなど朝廷の中心となった所でもある。 以来、後深草天皇に至る九代九十余年間里内裏となっていたが、正元元年(1259)五月に火災で焼失した。 閑院の南殿にて月前松を詠める いまはまた世々をかさぬる庭の松 ふりてそみゆる秋の夜の霜 順徳天皇 『妙顕寺城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 折りしもこの日は前日に本能寺の瓦が出たというニュースにわくわくさせられたものでしたが、その雰囲気に浸るべく本能寺跡周辺から北上してきて見つけたものでした。マンションの建設等で発掘調査の機会があるたびにこの辺りはなにかしら出てくるんでしょうね。ただその機会が来るのをじっと待つしかないなんてなんとも悔しいと思ってしまうのは私だけでしょうか。
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