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園部城跡 登城日:(1999.10.09) 所在地: 船井郡園部町 |
歴史 |
様々な勢力が園部の地に居城を構えたが、室町時代末期、丹波八上城を本城とする波多野氏の家臣である荒木山城守氏綱が七頭衆として園部城に君臨していた。
が、天正六年(1563)明智光秀の丹波攻略の前に潰え去った。 元和五年(1619)に但馬出石より小出伊勢守吉親が入封し、新しく城地を開き、築城した。二年を費やして完成、東・西・南の三方を天神山、振天山、小向山が囲み、その中心に本丸が置かれることになった。現存の城門は枡形でなく、御殿玄関に直結されている構造から、園部城を園部陣屋とも言われている。本丸には三つの二層櫓が構えられていたが、見張りの役には不十分だったのか背後の小向山に三層の小向山櫓を建て、城内外の見張りを果たしていた。また、その本丸の外側には内堀があり、さらにその外に二重櫓、その外側には外堀がめぐらされていた。 以後、小出氏十代二万六千石として明治を迎えることになった。維新の際に京都御所が攻められる危険があったことから、万一の避難場所に園部城が選ばれることになり、城の修復を行われたのであった。
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資料 |
私見 |
以外と知られていない園部の城。遠くから大きな天守風の建物がその存在を大きくアピールしているのがわかりました。あんなものだったかなと不審に思いながら近づいてみて、安心しました。遠くから見えていたのは城ではなく、国際交流センターとかいう建物でした。城跡はそのすぐ横にある園部高校の正門がそのまま城門となっており、その脇には重々しく隅櫓が建てられている。まさかこれが高校だなんてとても信じられません。
よくこの城門前の石段をななめに隅櫓の写真がのってますが、いざ現地にいってみて納得しました。高校の一部と化している園部城跡はこの角度からしか撮影ができないのです。少しずらすと櫓前のテニスコートがフレーズに入ってしまい、全然雰囲気がぶち壊しになってしまうのです。 ま、テニスをしている女子高生を撮ってもよかったのですが(^_^;、やっぱり私も皆さんと同じ構図にしてしまいました。
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