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周山城跡登城日:(2006.05.28) 所在地: 京都市右京区京北周山町 |
歴史 |
京北十景の一つに数えられ、城山として親しまれている山城の遺構は天正年間(1570年代)丹波平定を命じられた明智光秀が築城した周山城の跡と伝えられています。 若狭より京都への押さえを目的とした城で、山頂部は主郭を中心に東西南北の尾根上に曲輪を造成。主郭東側には低い石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせていたことが考えられる。また、虎口や井戸の跡、建物の存在を示す瓦片は織豊期に使用されたことを示しており、現存する総石垣の遺構は壮大です。また、西尾根部分には土の城跡があり、支城として存在していた。 天正九年八月、光秀は津田宗及と十五夜の月見を楽しみ、本能寺の変(同十年六月二日)後の同十二年二月には豊臣秀吉が赴いている。 織豊期の築城技術の特徴を残し、文化財としての価値も高い、中世京北町史の貴重な遺産「周山城址」を大切に保存していきたいものです。 山頂部までの所要時間は60分です。 『周山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
明智光秀が周山城を築城する以前の京北は宇津氏が権勢を誇っており、禁裏御料所を押領していたほどでした。それを天正七年(1579)に光秀が丹後攻めの折に宇津氏の拠る宇津城を落とし、その後周山城を築城したとされています。同城がある地は現在でも交通の要衝であることがよくわかる重要な場所であることがうかがえますね。 標高480メートル(比高220メートル)の城山へはつづら折れとなった登城道がついていますので労なく城域へと入っていくことができるようになっています。とは言え傾斜もそこそこきついですので楽々とはいきません(^-^;。私の場合、途中から斜面上部に残る石垣を見たくてずっと斜面を並行移動しながら登っていましたので、かなり疲れましたが(笑)。 周山城、特に東側に位置する東城(『京の城』に倣って)は東西南北の尾根に縄張りを広げて四方からの攻撃に備えた見事な山城です。特に現在でも良好に残る石垣は、総石垣造りと言われるに足るかなりの迫力がありました。 また本丸は石垣こそ崩れてしまっているものの、縄張り図を参照しながら見れば当時の形状がよくわかり、それだけでも十分満足のいくものです。そこから西へ足を延ばすと枡形虎口、そしてその先に城域内最も見事な石垣が残っていました! 最近、たまに思うのですが(遺構が見ごたえのある)いい山城にいくと自分でも縄張り図を書いてみたいなぁと思うようになってきました。キケンな兆候なので(^-^;、自分を抑えているのですが、この周山城は縄張り図を書いてみたい衝動に駆られてしまう素晴らしい城跡でした。本当でしたら、堀切を越えた先にある西の城(西郭)にも行きたかったのですが、時間の都合で取りやめました。そちらは東城と違って、土の城らしいですね。但馬の八木城や丹波の黒井城を想像してしまいましたが、次回の楽しみにとっておくことにします。(実際に行ってからかなり時間がたってるのでかなり記憶が・・(^^;;)
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