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新庄山城跡登城日:(2012.04.29) 所在地: 岡山市東区竹原 |
歴史 | ![]() ![]() ![]() ![]() 天文十八年(1549)春、乙子城主宇喜多直家は砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力し砥石城を攻め、大和を敗死させた。このときの恩賞として宗景から新庄山城が与えられ、乙子城から移ってきた。 永禄二年(1559)、亀山城主中山備中守と砥石城主島村豊後守とが、主君宗景に対し謀反の噂があった。宗景は直家に命じてこれを誘致させた。この功により直家は亀山城を賜り、新庄山城から移った。 新庄山城は家臣に守らせていたが、直家が岡山城主となったとき、この城は役目を終え廃城となった。なお、本丸跡から焼麦が現在も出土する。 『新庄山城跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() 神社の社がなんだかいい雰囲気を持っていましたが、言うまでもなく城とは関係ありません。北端の状態を確認し、眼下に広がる眺望を楽しんだ後は南方へと降りてみることにします。まっすぐ伸びた尾根上に南段もの郭が連なっていた構造となっていたであろうと想像しながら左右に注意を払っていきます。でもあまりそれと分る遺構は見つかりませんね。一応堀切跡かなと思われるところはありますが、全体に寂しい状態の城跡でした。この日は直家を辿るプランで動いていましたので次の城を目指すことにします。
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