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光岡城

光岡城跡


登城日:(2012.05.04)
所在地: 宇佐市赤尾
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
光岡城の横堀 光岡城の土塁囲いの郭  光岡城は、福岡県筑紫郡の原田氏の後裔と言われる赤尾種綱の居城である。種綱は、宇佐郡高家郷吉田村の地頭職となり、貞和六年(1350)に光岡城を築城したとされる。以後赤尾氏は代々大内氏に属した。しかし弘治二年(1556)大友義鎮に降ってからは、山田安芸守や麻生親政ら大内勢を攻め滅ぼす活躍を見せる。
 種綱に対し大内氏に属する土井城佐野親重は、時枝城の時枝平大夫と共に赤尾鎮房の四十九日の法要を狙って光岡城を襲撃。一族、家臣らが打ち取られる中城主赤尾統秀の次男行種は、大友館に逃れ、一命を取り留めた。

『日本城郭体系』新人物往来社刊参照

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資料
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私見
光岡城の土塁囲いの郭  中津城に来たついでに気軽に寄れそうなお城を探していた時にこの光岡城を知りました。ここまで遺構がほとんどない平城ばかりを行っていましたので、そんな中でこの光岡城は、上まで車で行けるという気軽さを持ちながら見応えたっぷりな遺構を残しているという素晴らしいお城でした。
 光岡城まではかなり遠いところから道路に方向を示す案内が設置されていますので、それにしたがっていけば辿りつけると思います。比高50メートルほどの小高い山の道をまっすぐに上りつめたところに駐車場があり、車を降りたすぐ目の前には土塁や横堀が見えていました!一気に駆け上がるとほぼ全容が見て取れるようになります。城は大きな郭の周囲を土塁が囲い、外側を横堀と土塁がめぐらされています。隅には櫓台状になっているところもあります。まったくチェックしてなかったのですが、ここはいいですねぇ・・。虎口や土橋状のものとか、どこまでが往時の遺構なのかなと少し近年の整備・復元工事という改変を疑ってしまうほどですが、機会があれば発掘調査資料も見てみたいなと思います。
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