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和田城跡登城日:(2005.09.19) 所在地: 甲賀市甲賀町和田 |
歴史 |
この城は、甲賀地方に残る中世城郭の代表的なもので、城主は和田伊賀守惟政と推定される。和田惟政は、近江守護佐々木六角氏の軍奉行を勤め、足利義昭を領内に亡命させ、室町将軍に擁立した武将である。その後、雄琴城主(大津市)、芥川城主(高槻市)となり、キリスト教伝来で有名なフランシスコ・ザビエルを保護し彼を信長に会見させた武将でもある。又家臣にもキリシタン大名で知られる高山右近らがいる。 本城は、縄張をもつ城郭で、最高部に平台があり、天守台の存在が推定でき、中世城郭と近世天主城郭を結ぶ貴重な遺構である。 『和田城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
JR草津線「油日」駅を下る県道51号線を挟んで、和田城がある一帯は棚田山城、和田支城T〜Vが隣接する城館密接地帯です。城が1集落毎に領主の城館として存在するのではなく、領主の惣領、庶子などがそれぞれ居館を構えていたようです。 天正元年(1573)に信長に対して二条城で挙兵した足利義昭に従う格好で和田惟政も高槻城に立て籠もり、芥川城へと移転していきます。しかし中川清秀により捕らえられ命を落とします。歴史にその名を多く見られる和田惟政の居城がこの山深いところにあったのだと思うと自然とテンションがあがります。 城は北側の登城口脇に案内板があり、そこだけは急ですが3メートルほどあがると一気に城域の中に入り込めます。現在の状態は一帯に植林が見られ、城跡として整備されている感はありませんが、それでも往時の遺構は色濃く残っていました。主郭とされる方形郭に高い土塁が作られ、南西部にある虎口を経由して西側の一段下がった郭へとつながっています。西側に数段の郭があり広がりを見せていますね。また、北西部にある高台は天主台とされているようですが「ふーん」という感想でよくわかりませんでした。土塁と縄張りだけで十分満足できる城跡であるということなのですが、すでに夕闇が迫ってくる時間でもありましたし、何より植林のおかげで城域に日が差し込みにくく、見づらい登城となりました。 訪れられる方は天気のいい昼間を選んでください。
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