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芥川山城跡 登城日:(2005.01.30) 所在地: 高槻市原 |
歴史 | ![]() ![]() のちに孫十郎が晴元の反撃に呼応したがこれを打ち果し、飯盛山城に移る永禄三年(1560)までの間三好政権を磐石のものとしていく。 永禄十一年(1568)、織田信長に攻め落された当城は、織田方の和田惟政が入城した。翌年高槻城に移った惟政はあとを高山飛騨守に託したが、飛騨守の子彦五郎(右近)により元亀四年(天正元、1573)攻め落され、高槻城を奪われる。これにより、芥川山城の役目が薄れ、廃城となっていった。 『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 | ![]() ![]() そして、土橋を渡ると南側に大きくせり出した郭が続きます。ここから主郭へと渡る手前に石垣が残っています。かなり崩れ落ちていますのがなんとも残念です。ここが大手道ですので、麓の集落からあがってくればここにたどり着くことになります。 ![]() そして南側は20メートルほど下へ降りた先に大堀切と土塁が作られています。同行の方には申し訳ないかなと思いつつ、斜面を滑り降りて、堪能させていただきました(笑)。 そしてこのまま下へ降りていき、大手道に合流して城攻め終了です。一つ北側の監視用郭を見てませんが、大満足で降りてこれました。この芥川山城はまさに戦う為の山城といった雰囲気があちこちでしている気がします。南側の堀切までいかなければたいてい藪こぎもありませんし、たいした登山をしなくてもすみますので、是非お気軽にいってみてください。
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