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二つ山南砦

二つ山南砦跡


登城日:(2007.08.25)
所在地: 藤枝市青葉町3丁目字本宮山
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
正泉寺奥にある二つ山南砦跡 ◆熊野山(本宮山)
 熊野三社大権現を祭る。往昔、天正六年(1578)三月十日、家康、浜松城より駿河出陣の拳を企て、大井河辺に陣取り、兵を遣わして田中城を囲む際、酒井左衛門忠次をこの本宮山と藤五郎山(今の昭和団地)に先陣とさせ、兵を充満させた。同年八月にも初倉より大井川をこえ(伊呂尾越)、田中城辺の刈田をした。天正七年(1579)五月にも田中城を攻め、本宮山、あるいは瀬戸崎に兵は充ちた。因みに田中城はこのあと天正九年(1581)二月に落城した。(武徳編年集成より)
◆青島家塋域(墓所)
 青島五郎兵衛長忠は当地(青島)に居住した豪族でその場所を「池田屋敷」という。(青葉町1−14番地辺り)。系譜によると長忠は武田信玄について当地へ出陣、遠州諏訪原城合戦の際、功があった。のち田中城へ在勤、三方原の合戦でも軍功をたてた。元和元年(1615)五月朔日、六十二才で歿。清涼院忠山了節居士の法名をおくられた。二代長宗、徳川方へつき、子孫繁茂、明治初年迄「池田屋敷」存続したが、その後、他処に移る。昭和四十年代、土地改良によって「池田屋敷」裏手の山にあった墓石郡を此処、正泉寺へ移す。

『二つ山南砦跡案内板』より

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資料
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私見
正泉寺裏手の小山にわずかに遺構が?  徳川家康は長篠の戦い後、執拗に武田領を侵攻しました。特に田中城への攻勢は12回にも及ぶということでこのあたりの地理的な重要性が見てとれるというものですね。一方、それだけ持ちこたえた田中城も素晴らしい名城だったのだということも言えそうです。
 さて、数度に及ぶ田中城攻めでは家康はまず大井川を確実に渡河するために大井川手前の井籠砦を足がかりにします。そして川を渡るやすぐ目の前に位置する二つ山砦(すでに消滅している藤五郎山とこの南砦)、岩城山砦、瀬戸山砦、烏帽子山砦などの砦群が密集するエリアに兵を駐屯したようです。
 二つ山南砦跡とされる正泉寺裏手の小山は細尾根ですが、権現社があるところと、その西側にそれぞれ平坦な地形がみられます。ここは山上で籠るというよりは正泉寺が建つところに兵をとどめておくといった役割なのかもしれません。これだけ砦を密集させることで一つの巨大な陣城としての有機的な連携を想定していたのでしょうか。引き続き、岩城山砦へと向かうことにします。
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