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石脇城跡


登城日:(2006.11.11)
所在地: 焼津市石脇下、大日堂
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石脇城登城口と同城跡  ここの丘陵には、山城があったことを示す曲輪群(削られて平坦にされた区画)と土塁跡(土を積んで土手状にしたもの)が残されており、「石脇城跡」と呼んでいます。
 「早雲寺殿様駿州石脇御座候時より申合。」と記された戦国時代のものと推定される古書(大道寺盛昌書状・江梨・鈴木文書)により、のちに早雲寺殿様と呼ばれる人物が、この辺りに居たことがうかがえます。早雲寺殿様とは北条早雲のことで、伊勢新九郎長氏と呼ばれていた若い頃に石脇の地に住み、城をかまえていたと推測されており、寛正年間から文明年間にかけて駿河を支配した守護大名今川義忠の妻・北川殿の兄とも言われています。
 新九郎が石脇に在住の頃、義忠の死により今川家の家督争いが起った際に、彼は幼い龍王丸(後の今川氏親)と北川殿を小川の法栄長者の居館(市内小川城遺跡)にかくまい助けたそうです。その後も氏親のために働き、その功により、長元年(1487)富士郡下方荘十二郷を与えられ、興国寺城主となります。

『石脇城跡案内板』より

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資料
 

私見
案内板越しの石脇城  石脇城は、焼津市北東部の国道150号を少し北へそれたところにある小さな独立丘陵(比高25メートル)上にある山城です。大日堂を目指されるのがいいでしょう。
 登城口は同丘陵の南側に城址を示す標柱と、そこから数メートル右側に案内板が設置されています。案内板は文章が薄れてしまって読みにくくなっていますので要注意ですが(^^;。
 階段になっているので登城自体は簡単です。途中で大日堂と城山八幡宮とで枝別れするようになりますが大日堂が建つ場所が主郭だったようです。郭跡らしきところは数段ありますが、この日は小雨が降る天候に加え、スーツ&革靴。無理はしません(笑)。八幡宮や段々となっているみかん畑も含め城域のようですが、ここにこれただけでよしとして下山いたしました。
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