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韮山城跡 登城日:(2000.08.28) 所在地: 田方郡韮山町 |
歴史 | ![]() ![]() 現在の韮山高校の校舎の付近を今も後座敷といい、早雲の居館跡であろう。小田原北条氏の西方の守りとして、韮山城は重きをなした。天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐のときは、城主北条氏規(四代氏政の弟)は、約四万の大軍に対して、三千余の将兵をもって、この城を守り通したのである。 北条氏規が城を築いた後、徳川家康は内藤信成を城主としていたが、慶長五年(1600)移封により韮山城は廃城となった。山の高い所に本丸、次いで二の丸、権現平、三の丸、塩蔵跡や土塁、空堀、内堀などが残っている。 『韮山城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 場所は韮山高校の裏手の小さな山に広がっており、車はぐるっと遠回りして江川邸駐車場に止めると、資料館を越えて韮山城へと向かいました。 すぐに三の丸跡であったテニスコートが右手にあり、そこを90度左に曲がると権現曲輪です。土塁がよくわかる程度に残っています。さらに進むと二の丸、本丸跡と至るところに土塁が残っており、関東の山城としてはよく残っているほうなんでしょうか。西日本だとここまでよく土塁があるとたいていそれ以上に石垣が見られるのですがやはりこちらは石垣がまったくないですね。 城をあとにして資料館に立ちよりました。入館料200円を支払うと(てっきり無料だと思ってた)、なかは周辺に点在する遺跡の発掘結果等の報告や出土品といった印象をうけます。あまり面白いものはなかったですね。 しかし、この韮山町、近くには韮山城の出城もあるし、また源頼朝が流されたという蛭が小島もあります。近くを散策するのには車はちょっと不便なので自転車があれば半日はいれそうです。
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