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ニ上山城跡 登城日:(2002.05.06) 所在地: 岩美郡岩美町岩常 |
歴史 |
ニ上山城の位置するニ上山は標高三四六・六メートル、所々に位置する巨岩と、標高ニ〇〇メートル前後からの急勾配をもつ、きわめて険阻な山です。城は山頂部の一の平帯曲輪を中心とし、北東方向へ向かってニの平、そして大小八ヵ所の削平地からなる三の曲輪と続く主要部からなっています。 このほぼ一直線にならんだ城の状況を見ると、ニ上山城は北側からの寄せ手を意識して築城されていたようです。東西両斜面はかなり険しく、この方面からの攻撃は不可能と思われます。一方で、他の斜面に比べゆるやかな南側の尾根づたいのルートは非常時の逃げ道となっていたようで、こちらからの攻撃は少ないものと考えられていた様子がうかがわれます。 ◆一の平及び一の平帯曲輪 東西五〇メートル、南北ニ九・四メートル、面積九五三平方メートルの規模を持つ一の平は、近世の城で言う「本丸」にあたり、有事の際にはここから指揮・指令が発せられました。 また一の平の周囲にはおよそニ〇〇メートルにわたる帯曲輪が設けられ、一の平の守備・防衛に役立っていたようです。 ◆ニの平 ニの平はニ上山城で最も面積の大きい削平地で、東西およそ一〇〇メートル、幅は最も広いところでニ四メートルで、ここから陶器片をはじめとする生活用品の遺物が出土していることから、屋敷等の生活のための施設があったと考えられます。そのほかにも、東端の土塁からはじまる三の曲輪方向への意図的な急勾配や、西端に位置する一の平入り口の守りを固めるためのやぐらの跡のような壇、また南側に九メートルへだてた場所に設けられた東西七八メートルにわたる帯曲輪など、戦略面での工夫も各所に見受けられます。 ◆三の曲輪 城の北東守備のために設けられた七つの曲輪群は、籠城の際に敵勢と向かい合う最前線となった場所です。地形を巧みに利用しつつ、各曲輪がたがいに連携して防御されては、この方面からの攻撃は非常に難しかったでしょう。なお、ニ上山城の各遺構の正式な名称は一の平、ニの平以外に伝わっておらず、「三の曲輪」は便宜上の仮称です。 『ニ上山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
ニ上山城は文和年間(1352−56)山名時氏によって築城されたと言われています。詳しくはわかっていないようですが一度でもの城を訪れたなら、その重要性をはっきりと確信することになるでしょう。 今年になってようやく工事が一段落し、城への登城口も綺麗に整備されています。私が訪れた時には山あいをきりくずして道路を通している工事現場まで車でいき、そこから右手側にある登城道をあがっていきました。最初こそわかりませんでしたが、少し登ってみるとこのニ上山城がこのあたりの貴重な歴史遺産として、かつ観光資源として大事に扱われているんだなということが理解できました。というのは登城道のいたるところに木材で組んだ階段が作られていて、足が丈夫でない方でもゆっくりと時間をかければ頂上までいけるような整備がされているのです。長い階段で数十メートルと驚くべきものが突如と目の前に現れるのは本当に壮観です。 私はそんな整備工事のおかげで難なく歩いていけたのですが、それでも山道を1キロ以上歩かないと一の平(なる)までたどりつかないのですから非常に大規模な山城です。城の縄張りは三の平からニの平、一の平まで一直線に尾根伝いに横長に広がる作りになっていて、時折大きな堀切りがつくられています。また、石垣や土塁も見つけることができ、非常に保存状態がいいのも嬉しい限りですね。 そして一の平がある頂上、標高346メートルからの眺望は最高でした。北へ目をやると近隣の山々のさらに先には青々とした日本海が見えます。手前の山々のなかには、桐山城や道竹城があります。この一帯は但馬との国境ということもあり、堅牢な山城で防御ラインがひかれているように見えます。 遺構の保存状態といい、好感の持てる整備といい、このニ上山城は予想以上にわくわくさせてもらいました。
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