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景石城跡 登城日:(2004.09.20) 所在地: 八頭郡用瀬町用瀬 |
歴史 |
この城が何年頃築かれたかは明らかでないが、太平記に延文の頃(1360年頃)既にあったと記されている。その後、山名の城となったが天正八年(1580)豊臣秀吉の鳥取城攻略の重要な拠点として磯部兵部大輔にこの城を攻めさせ、山名勢を追い払い、磯部を城主として鳥取城への備えとした。ところが磯部が若桜鬼ヶ城に所用のため不在の折、鳥取山名に攻め落されたが、翌天正九年、秀吉再度の鳥取城攻略により、鳥取城は落城この際磯部は許されて再度景石城主となった。以来城下町として用瀬宿を発展させたが、関ヶ原の戦いに西軍に味方したため咎を受け、この城を去らなければならなかった。替って智頭八東二郡の領主となった山崎左馬介の持ち城となった。ところが元和元年(1615)一国一城の端城御禁制の令が出され、この城は廃城となった。 今に昔を物語るものとして、下城・馬洗場などの地名が残っており又、本丸・二の丸・物見櫓などの広場と石垣又矢竹の群生が見られる。 『景石城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
用瀬の集落に入ると目だって高い山が二つあります。右側が頭巾山といい天狗峰錫坊権現が祀られてあり、もう一つの城山が景石城跡です。標高324メートル、比較240メートルですがかなり上まで車であがることができますので安心ですね。 町役場を過ぎ、しばらく走らせると山の案内板がでていますのでそれを右折し、車が1台通れる程度の道幅の道路を慎重に進みます。すぐに登城口が左に出てきますが、駐車場はその先です。 登城口からは20分ほどで頂上にでたでしょうか。傾斜がきつかったので結構いい運動になっています。なんといってもこの城跡のお奨めは石垣でしょうか。本丸を一段さがった東屋が立てられている斜面にも見事に残っています。急な断崖ですがなんとか駆け下りて石垣を撮影できないか、真剣に考えてしまいました。この日は少し曇っていましたので眼下に広がる景色は望めませんでしたが天候がよければ最高ですね!
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