HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

馬ノ山砦跡


登城日:(2006.07.16)
所在地: 東伯郡湯梨浜町大字上橋津
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
古墳跡と紛らわしいのですが、吉川元春が陣取った馬ノ山砦 ◆馬ノ山の対陣
 馬ノ山は羽柴秀吉軍と対戦するために吉川元春が陣取った所である。秀吉は天正九年(1581)十月二十五日に鳥取城を陥落させ、ついで羽衣石城の南条元続救済のため伯耆に進出し、御冠山に布陣して馬ノ山の元春と対峙した。
 秀吉軍の兵力は六万、迎え撃つ元春軍は六千であったが大軍を迎えても動ぜず、橋津川の橋をことごとく落とし、備えていた数百の舟はすべて陸上に引き上げ櫓は残らず折り捨てて背水の陣を敷いた。
 秀吉は元春の覚悟のほどを知り、戦わずして軍を引き上げ、元春軍も馬ノ山を開陣し、出雲に引き上げたという。秀吉・元春の両雄は互いにその器量を認め合い戦わずして別れたのである。もし戦っていたとすればその後の日本の歴史は変わったものとなったかもしれない。

『馬ノ山砦跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
ハワイ風土記館前にある土塁跡  すさまじい降雨のため予定していた城攻めも出来ず、やむなく雨天でも城攻め可能なところを巡ってみました。吉川元春が陣取った馬ノ山は多くが古墳が点在しています。馬ノ山山頂部や展望台がある尾根筋に土塁らしきものが見られるのですが、古墳なのかどうかが微妙です(--;。
 一番分かりやすい遺構はハワイ風土記館の入り口脇にある「馬ノ山砦 土塁の跡」と書かれた標識とその下にある僅かな土盛りです。ほんとはもっと大きなものでしたのでしょうけどかなり破壊されてしまっているようですね。ちなみに風土記館の方にも聞いてみましたが、この辺は古墳がメインなので中世のものはよく分からないということでした。
 でもこの建物は360度周りが見渡せる絶景にありますので、天気がよければここで周囲の城の位置関係を確認するのにはいいかもしれません。
【戻る】