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山名氏豊館跡登城日:(2011.05.04) 所在地: 倉吉市東町、大岳院 |
歴史 | ![]() ![]() 房州(千葉県)館山十代城主里見安房守忠義公は、慶長十九年倉吉に転封されて当院門前に居住された。元和八年二十九歳にして関金町堀の地において逝去され、近臣八人が殉死を遂げた。遺言により、当院において葬送し殉死八臣の遺骨を埋め、御位牌とともにお祀りしている。 この時当院で授けた忠義公の法名を「雲晴院殿心叟賢凉大居士」といい、殉死した八人の法名にもすべて「賢」の字を付けたところから、彼らは「八賢士」と呼ばれていた。のちにこれが、滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』のモデルになったのではないかといわれている。 尚、この墓所には忠義公の伯父正木大膳と里見家老堀江能登守も、ともに埋葬されている。
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資料 |
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私見 | ![]() そういえばここには千葉県の館山城主里見忠義がこのあたりに居住していたようですね。お寺には里見家墓所が置かれていました。
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