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山名氏豊館

山名氏豊館跡


登城日:(2011.05.04)
所在地: 倉吉市東町、大岳院
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山名氏豊館跡であるという大岳院  山名氏豊館の詳細は不明である。「鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)」によれば、平成四年度に倉吉市教育委員会による発掘調査が行われた。それによって掘立柱建物跡14棟、溝状遺構五条、土壙、井戸跡などが見つかった。

 里見家墓所
 房州(千葉県)館山十代城主里見安房守忠義公は、慶長十九年倉吉に転封されて当院門前に居住された。元和八年二十九歳にして関金町堀の地において逝去され、近臣八人が殉死を遂げた。遺言により、当院において葬送し殉死八臣の遺骨を埋め、御位牌とともにお祀りしている。
 この時当院で授けた忠義公の法名を「雲晴院殿心叟賢凉大居士」といい、殉死した八人の法名にもすべて「賢」の字を付けたところから、彼らは「八賢士」と呼ばれていた。のちにこれが、滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』のモデルになったのではないかといわれている。
 尚、この墓所には忠義公の伯父正木大膳と里見家老堀江能登守も、ともに埋葬されている。
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資料
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私見
大岳院境内にある里見家墓所  打吹城の北麓、現在は民家が立ち並ぶ中に大岳院を中心とするあたりが山名氏豊館があったところとされています。立派すぎる門が素敵ですね。とは言え、現地を見た限りではまったくわかりません。発掘調査によって焼土面も出てきたということですので、かつての激しい戦いを見てきたことでしょう。今はとても穏やかな時間が流れているようです。
 そういえばここには千葉県の館山城主里見忠義がこのあたりに居住していたようですね。お寺には里見家墓所が置かれていました。
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