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池ノ前台場跡登城日:(2010.04.17) 所在地: 和歌山市深山 |
歴史 |
池ノ前台場は、安政二年に築造された和歌山藩の海防台場の1つである。ペリー渡来後の嘉永六年九月、海士郡代官仁井田源一郎は「海防議」を提出し、加太浦や友ヶ島に砲台を置くことを主張した。 これを受けて、沖ノ島には池ノ前台場、池ノ尻台場、蒲浦台場、小浦台場の4つの台場が築造され、地ノ島には配布台場、保古良台場の計6箇所築造されることとなった。しかし当時の砲台は土俵を積み上げた簡単なものだったという。 『幕末海防史の研究』名著出版刊参照
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資料 |
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私見 |
池ノ前台場は、その名の通り蛇ヶ池の北側に位置し、池尻浜に面して築かれていました。現在は明治期に築かれた第二砲台のせいで見る影もありませんが、手前の土檀が幕末の台場跡だそうです。海側から見ればなんとなくそれっぽい気はしてきますが、そうなんだと言われなければとてもわかりませんね。 赤いレンガ造りや分厚いコンクリートが残る第二砲台のほうが見ごたえはありますが、この近代の砲台が同じような場所に造られたられたことから見てもここは台場を構える立地条件としては適していたということなんでしょうね。ちなみに蛇ヶ池の反対側にある台場が池ノ尻台場と言います。前と尻ですか。
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