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小浦台場

小浦台場跡


登城日:(2010.04.17)
所在地: 和歌山市深山
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
わかり難いですが、喰い違い虎口 道路が分断していますが石垣が残っている?  小浦台場は、嘉永七年(1854)頃、外国船の脅威に備えるために海岸沿いに築かれた紀州藩の砲台場の1つである。水野丹後守が担当していたという。
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資料
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私見
喰い違いの土塁上に石垣も 高い壁が出来てしまい、海が見えません  沖ノ島には幕末の台場が4箇所築造されていました。蒲浦台場池ノ前台場池ノ尻台場、そしてここ小浦台場です。大阪湾を防備する防衛ラインとして友ヶ島と淡路島の由良とでガッチリガードされていた中で、小浦台場は隣接する池ノ前台場と共に北に向かって造られています。防衛ラインが突破されたあと、背後を狙い撃ちするためなのでしょうか。ただここは無人の台場だったようですので、ほんとに緊急事態となった際に使われるものだったということなんでしょうね。
 現地は近代の砲台建設によって軍道が横断してしまっており、旧状を破壊している部分もあります。しかしほぼ往時を理解できる程度には残っています。北側の浜辺に向かって石垣が築かれ、その上に土塁が積まれたとされた箇所は軍道の造成のために分かり難いですが、その奥にある喰い違い虎口や土塁、石垣は驚くほどいい状態です。一般には明治期の第二砲台を見学するために素通りしてしまうのでしょうが、幕末の台場も見学ポイントとしてPR、宣伝すればいいと思うのは私だけでしょうか。上から見ただけでは気付きにくい幕末の遺構が今もひっそりと残されています。
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