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府中城跡登城日:(2007.05.04) 所在地: 越前市府中1丁目、越前市市役所周辺 |
歴史 |
◆越前府中・利家紀行 初代加賀藩主前田利家(犬千代・又左衛門)は、織田信長の越前一向一揆平定後の天正三年(1575)秋、佐々成政、不破光治と共に各々越前府中領十万石の土地を均分し与えられた。この三名を府中三人衆という。初めて大名に出世した利家は、ここ越前府中城に居を構えた。この地の東には日野川が流れ天然の堀の役目を果たし、平城を築くには格好の場所であった。利家は天正九年(1581)十月に能登一国の太守として七尾に転封されるまでの約六年間をこの越前府中城でまつや子供たちと暮らした。また加賀藩三代藩主前田利常は、まつの侍女であった高木村(現武生市高木町)上木新兵衛の娘千代が後の文禄の役(1592)の際に肥前名護屋で利家の側室に迎えられ設けた子供と伝えられる。 ◆越府城址 藩政時代府中邑主本多氏の館址である。往時の邸地は約八千坪で東邊と北邊を堀で囲みその東一帯に長さ二百八十余間の外堀があり館は南面し、大手門が馬場に通じていた。 城の起源は文明の頃越前国守護朝倉氏の府中奉行所の構築に創まると云われ天正年間前田利家が城濠を修築拡張した。 前田氏移封の後に丹羽・木村・堀尾の諸氏が相次いで在城したが慶長六年本多富正が居館を定めてから維新廃藩に至るまで本多氏が歴代在城した。 明治五年城址に進脩小学校が建てられ後に武生東小学校と改称した。輓近市街の発達と学量増加のため中北府町へ移転すると共に市庁舎が建設された。創学以来十四年である。 『府中城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
越前市の市役所を目指してはいましたが、どう撮影しようかなぁと考えていたら立派な城址碑が建てられていてほっとしました(^-^;。 ここ府中城は前田利家ゆかりの城の一つということでかつての大河ドラマ「利家とまつ」のおかげで新しい案内板もあります。ここから南西方面にある龍門寺城(龍門寺)も同じくドラマが放映中には大層賑わったのでしょうか。今はかなり散策しやすい状態ですけどね。 そうそう、忘れてはいけないのが新善光寺城跡である正覚寺にある山門は府中城の移築門です。石瓦や門柱が重厚な印象を与える高麗門。見事なものですよ。
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